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Vic Gohのフォトアルバム Vol-5
2003年11月15日
郷 勝哉

まえがき

前回は「スイスアルプス−I」として マッターホルン周辺の写真をご覧頂きましたが、今回は 「その II」で ユングフラウ のあるグリンデルワルト村周辺の風景です。(郷)

スイスアルプスを代表する名峰の一つ ユングフラウ(乙女)4158m です。右の方に全山雪で覆われたピラミッド型の峯が二つ見えますが、高い方がシルバーホルン 3695m で、遠方からユングフラウを確かめるのに良い目印です。
ユングフラウの左側の稜線上で、シルバーホルンとほぼ同じ高さに小さな長方形が見えますが、ユングフラウヨッホ(肩)と呼ばれる場所で、麓のグリンデルワルト村から登ってくるユングフラウ鉄道の終点になっています。駅の高度は3454mで、別名 Top of Europe(ヨーロッパの屋根)の名前の通りヨーロッパ最高駅を誇っています。駅に隣接して天文台と展望台のある気象観測所、氷の彫刻を飾ったアイスパレスなどがあります。

ユングフラウから東に峯を連ねるメンヒ 4099m(中央)左端がこの3山の中最も登頂が難しいアイガー 3970m です。この山の初登攀は 1923年(大正10年)で、登ったのはなんと日本の登山家 槇有恒 でした。日本人が成し遂げた快挙として当時は随分騒がれたようです。正面の絶壁は標高差が1800mもあり、ヨー ロッパ三大北壁の一つと言われる難所でしたが、初登攀から17年後の 1938年にオーストリア人とドイツ人の混成パーティにより征服されました。

この巨大な岩壁に沿った内側をユングフラウ登山鉄道がトンネルで通り、北壁を横断したところでUターンしてユングフラウヨッホまで登っています。このトンネルの途中に外が見えるアイガーヴァントという駅があり、映画の舞台にもなりましたが、この鉄道の生い立ちと映画の話は最後にします。

日が暮れかけたアイガー麓の高原(1034m)の村グリンデルワルト、登山や観光客(冬はスキー客)の宿泊地でホテルやペンションが沢山あります。

グリンデルワルト駅。朝7時を回ったところですが、ユングフラウヨッホ行きの早朝割引一番電車に乗るお客が集まって来ています。この時は9月中旬で観光シーズンの終わりでしたが、7−8月のピーク時には世界中からの観光客で小さなこの駅が大混雑するそうです。

グリンデルワルト出発前の登山電車。レールの間にラックギアレールが見えますが、これと電車側にあるピニオンギアが噛み合い急勾配を滑らずに登るラック式鉄道です。かって信越線の碓氷峠に小学校の地理で習ったアプト式と言われるラック方式の区間があり、独身時代に会社のスキー部で信越方面に行くのに、白石さん(当時はレコード技術課)野本さん(研究部)達とよくここを通りましたが、横川で登山用電気機関車に交換する数分の停車時間に、ホームで立ち食いそばや名物の釜飯を食べるのが楽しみでした。

そんな訳でラックレールを使う鉄道を アプト式 と呼ぶと思い込んでいましたが、スイスに行ってみて、 アプトは開発した人の名前であり、他にもラックレールの構造が違うものが三つもあり、同じスイスの中でも路線(会社)によって方式が違うことを発見しました。ついでですが、写真の電車の屋根の上の構造物は、下り坂で使う電気ブレーキの発生電力を消費させる抵抗器で、箱根登山鉄道でも見られるものです。

グリンデルワルトから登山電車で500mぐらい下ったところの、インターラーケン オスト駅です。ここにはスイス国鉄が通っていて、箱根で言えば箱根登山鉄道に乗り継ぐJR小田原駅に相当します。インターラーケンという名前は、二つの湖の間(ツーン湖とブリエンツ湖)の意味で、オストは東西二つあるインターラーケン駅の東の意味です。駅前に黄色のスイス郵政局(PTT)の路線バスが停まっています。スイスは歴史的に主要都市間は鉄道で結び、山岳部の小さな村々はPTTの郵便馬車(人も乗る)が結んでいましたが、今ではそれがご覧のような路線バスに変わっています。

グリンデルワルト駅付近の風景、正面の山は ヴェッターホルン 3701m で富士山とほぼ同じ高さです。この日は気流が安定していたらしく、ハンググライダーで飛んでいる人が見えました。



グリンデルワルトからバッハアルプゼーへ向かうハイキングコース。この辺のハイキングコースは、まずロープウェイやスキーリフトで高所まで登り、その後は、ほぼ等高線に沿って歩くというスタイルで、時間さえあれば楽に散歩気分で歩けます。



ハイキングの途中で見かけた高山植物、キキョウ類のようです。

約2200mの高所にある バッハアルプゼー。氷河を挟んで左はヴェッターホルン 3701m 右はシュレックホルン 4078m

ユングフラウ鉄道とアイガー北壁にまつわる話

1893年当時、北壁の麓のクライネ シャイデック (2061m)までは既に鉄道が来ていましたが、それを更にユングフラウの頂上まで伸ばそうという計画が持ち上がり1896年に着工、今のようなトンネル用シールド掘進機など勿論無い時代でしたから全部人力、といっても当時最新だった電動削岩機(手持ち)とダイナマイトで掘り進み、ユングフラウヨッホに至る9.3キロを16年かかって完成しました。(頂上までという当初計画は費用がかかり過ぎると解り断念)

この鉄道ルートは、クライネ シャイデックを出た後、写真(2番目)の北壁の右下付近のアイガーグレッチャーという駅を出たところでトンネルになり、北壁の内側を登りながら横断し東稜(写真左の稜線)付近で90度向こう側に転進、Uターンするようにアイガーの裏側の南壁に沿って西に向い、メンヒの中を通り抜けてユングフラウヨッホに至るのですが、この間殆どトンネルの中で何も見えず、運賃1万円(往復)を払った乗客としてはがっかりなのですが、その辺はうまいことに北壁の中間にアイガーヴァントという駅があり、列車はここで一時停車し、乗客は降りて壁に穴を開けて作った展望台からロッククライマーになった気分で下界を見下ろせる仕組みになっています。この北壁の窓は当初から展望台として作られたのだそうですが、その頃は蒸気機関車だったので、多分煙抜きの役目もあったのではと思います。

余談ですが、この北壁の向かい側 6km 程の斜面にあるペンションに泊まっていた夜のこと、壁の中腹に煌々とした明かりを見つけ、はて登山中のクライマーのランプにしては明る過ぎるし何だろうと不審に思ったのですが、考えたら丁度アイガーヴァントの展望台の窓あたりで、電車はもう走っている時間ではないから、工事用の照明だろうと見当がつきました。
それから思い出したのですが、クリント イーストウッド監督、主演の アイガー サンクション(アイガーの制裁)という映画で、イーストウッドを含むザイルパーティが北壁を降りる途中、ハーケンが抜けて全員が滑落、イーストウッドがザイルに逆さ釣りになってこの窓の外に現れる場面がありました。この映画では他のメンバーは全員滑落死し、イーストウッドだけが、別の仲間が窓に引き寄せて救出されるのですが、私の見た限り3カ所ある観光用の窓は全部はめ殺しだったので、それを壊すか他に窓が無い限り、映画はともかく実際は救出不可能です。


撮影データ

時期:1995年9月
場所:スイス ベルナーオーバーラント地方
(グリンデルワルト、インターラーケン)
カメラ: PENTAX SP(レンズ:トキナー 35-105 mm ズーム、雪景色では偏光フィ
ルター使用)及び Konica BiG mini(35mm単焦点)
以上

 
 
Photographs copyrighted (2003, Vic Goh)
 
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