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このフォトアルバムは過去数十年間に撮り溜めた写真の中から、丁度古いアルバムをめくるように往時を思い出しながら選んだ写真回顧録です。山や湖、オーロラなど自然の風物が主になるはずでしたが、結果的に飛行機、鉄道、車など乗り物も多く出ました。このあたり、子供の頃好きになったものが染みついていて何かと顔を出すようです。今後もこの様なコンテンツで続くと思いますが、変わらずお付き合い頂ければ幸いです。なお、Windows の画面設定を800 x 600にすると写真を大きくして見ることができます。
(2005-12-1)

Vic Gohのフォトアルバム Vol-25
往年の名スポーツカー

2006年2月1日
郷 勝哉

<まえがき> 1960年頃の外国製スポーツカーは、自動車ファンにとっては「欲しくても手が出ない高嶺の花」以前の話で、キャデラック同様、芸能人など今で言うセレブだけが乗り回す特別な車であり、ファンにとっては自動車雑誌のグラビアで見るだけの存在で、自動車ショーで実物が展示されると黒山の人だかりが出来たものです。そんなわけで、1961年に Los Angelesに駐在したときは(Back Number: Vic Goh's Photo Album Vol-23)、スポーツカー天国に飛び込んだ様なもので、「これが例のポルシェか、せめて写真だけでも」と撮影したのが今回の「往年の名スポーツカー」です。



<ポルシェ 356> フォルクスワーゲンの生みの親、ポルシェ博士の後を継いだ(当時の呼び方で西ドイツの)メーカーであるポルシェの超高級スポーツクーペ



<カールマン・ギア> 西独製フォルクスワーゲンの車台に、イタリアのカロッツエリア(車体デザインハウス)ギアがデザインしたボディーを載せた車で、ポルシェに比べれば格安だったので、「貧乏人のポルシェ」などと言われました。私も日系2世の同型車に乗せて貰ったことがありましたが、格好だけで空冷エンジンのやかましさや乗り心地はフォルクスワーゲンそのものでした。



<MG−A ハードトップ> スポーツカー イコールMG、と言ってよい程ポピュラーな英国車。後ろに見える黄色い車は、今の日本で言えばバントラック相当の工事屋さん用の車です。



<MG−A> 前の写真と同じMGですがこれは幌がついているオープンカー。雨が少ないLos Angelesではこのようなオープンカーが多く走り回っていました。赤が圧倒的に多いスポーツカーの中でこれは一寸珍しい海老茶色です。
通りの向こうにフルサイズの米国車が見えますが、この頃のアメ車は重さ約2トン、排気量 6,000 cc 以上が普通でした。



<オースチン・ヒーレー> MGと並び有名だった英国製のスポーツカー、スポークのホイールが高級感を出しています。



<オースチン・スプライト> 蛙の目玉の様なライトで愛嬌がある顔?が特徴でした。



<サンビーム・アルパイン> これも英国車で60年代は英国製スポーツカーの全盛だった様に思います。



<メルセデス・ベンツ 190SL> そうでなくても高価なベンツのスポーツカー、偶々後ろにはベンツのセダンも写っています。日本では普通ベンツと言いますが、米国ではメルセデスと呼ばれていました。ちなみにメルセデスは女性の名前。
通りの向こうに日本語の看板が見えるビルは、当時 Los Angeles 市内唯一の日系ホテル「都ホテル」です。ホテルとしてはCクラスでしたが、日本語が通じるのと、日本人町の中にあり何かと便利ということで日本からの旅行客が良く利用していました。



<ルノー・カラベル> かって日野自動車がルノーのセダンをライセンス生産していた事がありましたが、これも当時のルノーの特長であるRR(リアエンジン・リアドライブ)のスポーツセダンです。米国から帰国する途中寄ったドイツのデュッセルドルフで撮影したものですが、当時の AGFA フィルムの質が悪く全体が暗く赤味がかっていたので白黒にしました。



<トライアンフ TR-3> これも一世を風靡した英国製スポーツカーで、白い幌を付けています。後ろに一寸見える青い箱形の車は US MAIL すなわち郵便局の車です



<トライアンフ TR-6> 同じトライアンフですが、こちらはTR-3よりかなり新しく1970年代のTR-6で、厚木基地内での撮影です。アメリカ軍人の車らしく 相模55 E-777 というプレートがついています。



<あとがき>
後でだんだん解って来たことですが、1960年頃はアメリカの景気が良く、そこを狙ってヨーロッパの自動車メーカーが競ってスポーツカーを売り込んだ時代だった様です。一方日本はといえば、元々トラック以外の車は不要な贅沢品と考えられ、外国車の輸入は極端に制限されていたため、しばらくは高額所得者すなわち特権階級だけが持てる車でした。それが崩れてベンツやBMWをやたらに見かける様になったのは、やはりバブルになってからでしょう。
今から思うと、当時のセレブが得意になって乗り回していたスポーツカーはどうやって入手したのだろうと不思議でしたが、インターネットで調べてみると、「輸入車は病院、報道、観光といった特別な用途にのみ認められていたもので、その実体も米軍の払い下げが中心....」ということでした。ちなみに完成車の輸入が自由化されたのは1965年で、当時為替は¥360/ドルの固定レートだった上、輸入関税もかなり高率でした。その関税が撤廃されゼロになったのはそれから10年以上後の1978年です。

フォトアルバム 撮影データ

撮影時期:1960-1961年
撮影場所:Los Angeles; New York; ルノー・カラベル は デュッセルドルフ(ドイツ);
厚木基地
カメラ: レチナIIc(ドイツコダック製), レンズ: Retina-Xenon 50 mm
フィルム: Kodachrome Slide; 一部 Agfa

以上
 
 
Photographs copyrighted (2003〜2006, Vic Goh)
 
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