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このフォトアルバムは過去数十年間に撮り溜めた写真の中から、丁度古いアルバムをめくるように往時を思い出しながら選んだ写真回顧録です。山や湖、オーロラなど自然の風物が主になるはずでしたが、結果的に飛行機、鉄道、車など乗り物も多く出ました。このあたり、子供の頃好きになったものが染みついていて何かと顔を出すようです。今後もこの様なコンテンツで続くと思いますが、変わらずお付き合い頂ければ幸いです。なお、Windows の画面設定を800 x 600にすると写真を大きくして見ることができます。
(2005-12-1)

Vic Gohのフォトアルバム Vol-24
ネパールその3(最終編)

2006年1月1日
郷 勝哉



明けましておめでとうございます。年頭にあたり皆様のご健勝とご活躍をお祈りいたします。またつたない写真集ですが今年もよろしくお願いします。
今回はBack Number: Vic Goh's Photo Album Vol-14 に続くネパールその3で、ヒマラヤ名山の他、首都カトマンズやリゾート地ポカラの風景を選んで見ました。



<早朝のマチャプチャレ>
ネパールその1(Vol-10)でサランコットという山にハイキングしたことを書きましたが、その登山道から見たマチャプチャレ(6,999 m未踏峰*)です。右の頂上が平坦な山はアンナプルナIII (7.555 m)。
*マチャプチャレはネパール人にとって聖なる信仰の山であり、誰にも登山が許可されていないためヒマラヤ山系では数少ない未踏峰です。



<金物屋>
カトマンズ市内で見かけた金物屋です。釘や針金を計り売りするのでしょうか、大きな両皿天秤がぶら下がっています。スニーカーとセーターの結構モダンな格好の若者と裸足で荷物を担いでいる人が対照的です。



<お面屋>
裏通りに手の込んだお面を売っている店がありました、昼下がりの日差しが強かったせいか、店番らしい人影は見あたりませんでした。



<ポカラ飛行場-1>
カトマンズから国王の別荘があるリゾート地ポカラまで飛行機で移動しました。ロイヤルネパール航空の日本製中古機YS-11から降りたばかりの乗客が草原の上で何かしています。実はカトマンズ国際空港で既にネパールの入国手続きが済んでいるのですが、ここでまた入国カードを書かされました。それもご覧の通り砂利と草の駐機場でです。今だにその理由が解りませんが、お客がどの国からどのくらい飛行機で来るのか、利用度を観光の町として知りたかったのかもしれません。 カトマンズからポカラまで直線距離で約150 km ありますが、ネパール人は安いバスしか利用しません。この旅で一緒だった日本人の若者二人は面白がってそのバスに乗って来たのですが、悪路の連続で猛烈に揺れへとへとになったそうです。



<ポカラ飛行場-2>
写真の中央に見える白い部分が滑走路ですが、舗装はしてなく地面を平らに削って小砂利を撒いただけです。驚いたことに滑走路の真ん中あたりを道が横切っていて籠いっぱいの草を背負った農婦が悠々と横断していました。



<ポカラ飛行場-3>
左の建物は管制塔で、ご覧の様に飛行場内を馬やロバが歩いているだけでなく、滑走路もかまわず馬が放牧されています。
たまに飛行機が飛来するとサイレンが鳴り、牧童が馬達を柵の外に追い出すという、正に airport (空港)というより、airfield (飛行場)と呼ぶのがぴったりの何とも牧歌的飛行場でした。以前は放牧に使われていた野原だったのかもしれません。



<道祖神?>
ポカラ郊外のチョータラと呼ばれる休憩場所の一角にこんな像がありました。ネパールはヒンズー教が国教で、ヒマラヤ山岳部はチベット仏教が、南部には仏陀の生誕地ルンビニーがあり、国民は信仰が厚くこの像にも誰かが花を供えた跡が見られます。



<よく働く女性達>
家畜の飼料にするのでしょうか、籠いっぱいの草を背負っている女性達が通りかかりました。今は車も増えていると思いますが当時は少なく、ポカラでも写真の様な自転車を多く見かけました。私もホテル周辺を見物するのにレンタルしましたが、どれもサイズが日本より一回り大きい28インチタイヤで、脚がやっと地面に着くぐらい高く面食らいました。ネパール人は特に背が高い訳ではないので、多分中古品の輸出国の人が背高なのでしょう。



<水運び>
サランコット登山道の途中にある井戸に、女性達が水を汲みに来ていました。この大きな水瓶を籠に入れ山道を運ぶらしいのですが、かなり重そうです。



<カリロン>
そろそろヒマラヤともお別れです、遊覧飛行のYS-11 からの撮影で山の名前はカリロン(6,683 m)、麓に多分誰も訪れたことがないような湖が見えます。



<エヴェレスト>
フォトアルバム Vol-10 (2004年7月) でもご紹介しましたが、中央に屏風の様に立ちはだかっているのがヌプツエ7,906 m (左側) とそれに連なるローツエ 8,501 m で、その奥に雪煙を上げて頂上だけ見えているのが、世界の最高峰チョモランマ(エヴェレスト)8,848 mです。少し離れた右の峰はチャムラン 7,319 m、手前の巨大な谷はかつての登山ルートです。 今は観光客は勿論、登山チームもカトマンズから高度 3,440 m のナムチェバザール村まで小型機で一気に飛ぶのが普通のようで、これだと早い替わりに高度順応する暇が無く、村のホテルで高価な酸素吸入のご厄介になる例が多いとか。一方一昔前の登山隊は100人以上のポーターに加えてその監督と登山案内を兼ねたシェルパ(山岳民族)数人を雇ってキャラバンを組み、麓のルクラという町からこの谷を通り数週間かけて5,350mのエヴェレストベースキャンプまで登っていました。



<あとがき>
ネパールの飛行機と飲み水の謎など−旅の出来事いろいろ

[待てば空路の日和かな]
今でも飛行機は出発がよく遅れる乗り物ですが、ネパールの Royal Nepal Airlines は定時に飛行機が飛んだ試しがなく、最初にバンコックからカトマンズに飛ぶ時も、カトマンズから到着する飛行機を待つこと数時間。到着予定はネパール航空の職員始め誰も解らず、「必ず来るから待て」と言うだけ。どうやらそれが当たり前らしく、その後も度々待たされましたがイライラするのは日本人だけ、と解って来たので、こちらも「これがネパール」「ひたすら待てば必ず来る」と腹をくくったらイライラしなくなりました。後日解った事は、機材はボーイング727とYS-11 の2機だけで国際線も国内線もヒマラヤ遊覧飛行も兼ね(山岳輸送用の小型機は別)、その上 Royal の文字通り航空事業は王室の所有であって、国事で政府要人が移動するときはそちらを優先し、政府の用事が済んでから飛行機を定期航空に回すという仕掛けで、これでは遅れるのも当たり前、いつ来るか解らないのも当たり前でした。

YS-11 は元々中古機でしたから、椅子はともかく飛ぶのに差し支えない?テーブルなどは無かったり定位置に止まらずガタガタなど内装は大分くたびれていましたが、信頼性に定評のあるロールスロイスのターボプロップエンジンだけは、ちゃんと回っていました!

[トイレでスタンドバイの女性]
カトマンズ国際空港では荷物のコンベアが壊れっぱなしで、地元の子供達が税関を勝手に抜けて大勢侵入?してきて我々の荷物を奪い合いで運びチップをねだったり、男子トイレにバケツを持った女性が立っているので掃除待ちかなと思っていたら、こちらが用を足した後バケツの水を流しに来てびっくりしたのも他の国では出来ない経験でした。
これらは20年前の話ですから今は大分良くなっているでしょう。牧歌的だったポカラ飛行場も今では立派な空港建家と管制塔があるようです。

[半端付時差]
普通の国では1時間単位でずれていますが、どういう訳かネパールと日本の時差は3時間15分という15分の半端が付いていて、始めはその15分に気づかず時計を合わせたため時々「時間に遅れそう」と心配したものです。

[飲み水の怪]
ガイド本では上水道設備は不完全だから生水は飲むな、一流のホテル、レストランで出す水は煮沸してあり大丈夫という事でした。 旅行中男達は専らビールでその他には朝のコーヒーくらいだったので異常は無かったのですが、専ら紅茶を飲んでいた女房は、旅の終わり頃ついに腹をこわしてしまいました。ところが稲葉さん(Vol-14, ネパール その2)が念のためにと持参した横浜の水道水では腹痛が起こらず、ホテルの水差しの水は湧かしても起きるので不思議でした。それでホテルの水を持ち帰り藤沢保健所で検査して貰った所、「日本では最高度の硬水で、これではお腹を壊すのも無理ありません」とのご託宣でした。細菌ではなかったので、湧かしても効果は無かった訳です。

硬水で思い当たったのは、サランコットへ登るとき小川の流れにキラキラ光るものが混じっていて、原水に多量の鉱物成分が溶け混んでいた可能性があったのと、民家で見かけたのですが、上水管に取り付けてある直径30 cm 長さ1m 位のフィルターの事で、ホテルでも似たような設備をしている筈だが、果たしてどのくらい頻繁に交換しているかはそのホテルのメンテ次第ですから、中には目詰まりで硬水が素通りしていたのもあったかもしれません。

[ネパールに行けばノイローゼも治る?]
ネパールへ行ったのは現役時代で、Vol-10で書いた通りFL-55 でした。ネパール入りをして、それまですっかり忘れていた日本式の稲の刈り入れ作業や、天秤棒や籠で荷物を背負って歩く人達、人馬混合交通など懐かしく眺めている中に、「日本であくせく忙しくしていたのは何だったんだ?」、「ここでは時計がゆっくり動き、人々が悠然と暮らしている別の世界がある」ということに気がつきました。印象的だったのは、海外から多大の援助を受けている貧乏な国の筈なのに、人々にめげている様子がなく、特に老人や子供達が実に平和で穏やかな表情をしている事でした。
ということで、もし日本で仕事に疲れきったり、何かを思いつめて悩んだり、行き詰まったと思ったらネパールの田舎に行けば悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなり、ノイローゼも治ること請け合いです。しかし携帯電話や朝しゃん無しでは生きられない若者にとっては無理な相談かもしれません。

フォトアルバム 撮影データ

撮影時期:1986年10月
撮影場所:ネパール、カトマンズ 及び ポカラ周辺
カメラ: HONEYWELL PENTAX SP500; レンズ: トキナー 35-105 mmズーム
(冒頭の日の出は伊豆下多賀での撮影です)

以上 
 
 
Photographs copyrighted (2003〜2006, Vic Goh)
 
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