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このフォトアルバムは過去数十年間に撮り溜めた写真の中から、丁度古いアルバムをめくるように往時を思い出しながら選んだ写真回顧録です。山や湖、オーロラなど自然の風物が主になるはずでしたが、結果的に飛行機、鉄道、車など乗り物も多く出ました。このあたり、子供の頃好きになったものが染みついていて何かと顔を出すようです。今後もこの様なコンテンツで続くと思いますが、変わらずお付き合い頂ければ幸いです。なお、Windows の画面設定を800 x 600にすると写真を大きくして見ることができます。
(2005-12-1)

Vic Gohのフォトアルバム Vol-23
ロスアンゼルス ディズニーランドの "馬無し車"

2005年12月1日
郷 勝哉

<まえがき>
この夏スキャナーを新しくしましたが、そのフィルムスキャン性能が予想以上に良かったので、今まであきらめていた1961年のDelmonico 社* Los Angeles支店駐在時代に撮影したカラースライドを取り込んで見ました。当時世界のリーダーだったKodak社のKODACHROME フィルムの発色と耐久性はさすがで、撮影後44年も経っているにも拘わらず往年のディズニーランドの風景が鮮やかに再現しました。
*会社にとって海外最初の駐在員派遣先になったデルモニコ社について、「あとがき」にその経緯を書きました。




<ディズニーランド>
最近は香港にも出来ましたが、これは正真正銘、世界最初のディズニーランドで、1955年の創立から6年目のディズニーランド入り口です。今はどうなのかインターネットで覗いてみたところ、ランド内の設備はかなり入れ替わっていましたが、このSanta Fe 鉄道駅は殆どこの通りでした。



<California Horseless Carriage Club>
ロスに着任して間もない頃でした、ダウンタウンのバスターミナルで DisneylandとKnott's Berry Farm行き巡回バスを見つけ、数十分かかって辿りついたところ、偶々「カリフォルニア馬無し車クラブ」が当時日本ではまずお目にかかれなかったクラシックカーの展示をしていて、これはラッキーと喜んだものです。車は1911年型 Overland、横のレディが当時の衣装をしています。



<左1906年 Buick 右1910年 Cadillac>
どれもこれも個人のコレクションで、この日はDisneylandのアトラクションを兼ねての集まりと解り、流石アメリカには金持ちが多いとため息。キャデラックのオープンカーも珍しいですが、ヘッドライトの他に大きなカンテラ風のサイドランプがあるのは馬車の名残でしょう。



<Maxwell (年代不明)>
懸架スプリングや車輪のスポークは馬車の構造、幌にもその雰囲気が残っている感じです。



<Carnation Ice Cream>
ここらで一服、日本ではコンデンスミルクで知られていた カーネーション(乳製品製造業)のアイスクリーム売場です。今では六本木や原宿あたりで見かけそうな店構えですが、当時はこれでも大変贅沢で豪華に見えました。



<1912 Hudson>
この頃の車はサイドステップがついているのが普通でしたが、この車には工具箱みたいな物までついています。幌や窓を車体前部から延びた支柱で支えるのはこの頃のデザインに共通した特徴の様です。



<1911 Daimler>
大統領のパレードに似合いそうなリムジン、右サイドに 警笛のラッパが見えます。



<1911 Franklin>
消防自動車を連想させるスタイル。ここでどの車も右ハンドルなのに気がつきましたが、この頃までの車は左側通行の英国製がお手本だったのかもしれません。一方、流れ作業の大量生産で歴史的にも有名になったT型フォード(1908年生産開始)では左ハンドルになっています。



<Cinderella Castle>
お馴染み?のシンデレラ姫のお城で、モデルは南ドイツのノイシュバンスタイン城とか。



<モノレールと潜水艦>
有人運転ですが、スタイルは今見てもあまり古さを感じさせません。大船駅とドリームランドを結ぶモノレールが開通したのはもっと後の1966年でしたので、1961年に初めてこれを見たときは今のリニアーカーのように未来的でした。この潜水艦は水中には潜らないものの、洞窟に入り暗くなると水面下に設けられた窓から海底の景色が見える仕掛けで、確か兵器会社の General Dynamics提供だったと思います。最近孫とTokyo Disney SEA に行ったとき「海底2万マイル」という乗り物があったので早速乗って見たのですが、この方は水には全く入らず (乗り込むキャビンがまったく濡れていない!)、代わりに窓に沿って気泡が立ち昇り、外の景色があたかも水中にあるように歪んで見える様になっていました。窓の構造を良く観察したのですが、どういう仕掛けでそう見せているのかどうしても解りませんでした。



<あとがき>
当時はどの家電メーカーの輸出も初めは現地の輸入業者に頼りましたが、会社の場合それがNew Yorkに本社があったDelmonico社で、日本では木製キャビネットの14―17インチ(白黒)が普通だった時代に、モダンなメタルキャビネットの19-inch 白黒ポータブルテレビと、これも日本では珍しかったレコードチェンジャー付き小型ステレオ(木製キャビネット)から始まりました。

テレビはブラウン管なしで送り現地調達の管を組み込む方式でしたが、そのテレビの組立調整指導の他、輸送事故チェックのための受けれ検査や、修理サービスの指導のためにテレビ技術者が要るというD社の要請に応え、最初に派遣されたのが坂野昌男さんで(残念ながら今年5月他界)New York 本社に駐在。その後
間もなくD社が Los Angeles に支店を開設し日本から製品が直接送られるようになったため、駐在員第2号として派遣されたのが私でした。

今では信じがたい事ですが、当時海外駐在員を送り出す事は会社にとって大変な事だったらしく、元海軍大将のN社長や住友銀行出身のM副社長に挨拶させられたあげく、最後は羽田空港で万歳という騒ぎで、きわめて照れくさかったのと(当時万歳で見送るのは特別ではなく、羽田ではよく見られた光景でした)、見送りに来ていた親父が社外にも有名だったT常務に気がつき、あわててVIPルームの手配をしたのをよく覚えています。

かくして単身(New Yorkの坂野さんも同様で日本人は一人だけ)アメリカ西海岸駐在となりましたが、何しろ1ドル360円の時代でしたから中古車も持てず、下宿先から路面電車を乗り継いで City of Vernon という工業地域のD社支店に通ったものです。 一方見る物聞く物全て珍しく、(と言っても未熟な英語力では正直解らないことの方が多かったのですが)その上日本では高価で手が出にくかった Kodak フィルムが20枚撮り1本 $2.50 くらいで買えるとあって、(ドルの使い勝手として、日用品は1ドル100円ぐらいの感じだった)大喜びであちこち写真を撮りまくったというわけです。

フォトアルバム 撮影データ

撮影時期:1961年3月
撮影場所:Disneyland, Anaheim, California (ロスアンゼルス郊外)
カメラ: レチナIIc(ドイツコダック製), レンズ: Retina-Xenon 50 mm
フィルム: Kodachrome Slide

以上
 
 
Photographs copyrighted (2003〜2005, Vic Goh)
 
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