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このフォトアルバムは最初のVol-1で書いたように、数十年間に撮り溜めた写真の中から、丁度古いアルバムをめくるように、往時を思い出しながら選び出したもので構成しています。自然の風景それも山や湖、それにオーロラなど自然現象を中心に選んだつもりでしたが、実際は飛行機、鉄道、車など乗り物も度々登場しました。このあたり、子供の時に好きだったものが染みついていて何かと顔を出すようです。今後もこの様なコンテンツで続くと思いますが、変わらずお付き合い頂ければ幸いです。
(2004-10-1)

Vic Gohのフォトアルバム Vol-17
2005年3月1日
郷 勝哉
北欧(その2)

<まえがき> 昨年10月に「北欧その1」 として旅行中に見かけた一寸変わった乗り物をご紹介しましたが、その続きとして今回はフィンランドの首都ヘルシンキと、船でバルト海* を横断した時の写真をご覧にいれます。
*英語読みでは Baltic Sea、日本海海戦で東郷艦隊に沈められたバルチック艦隊の名前はここから来ています。(バルチック艦隊の行動については後述)



<ヘルシンキ港> この港からスエーデンのストックホルムまで船で渡りました。一際目立つ緑の円屋根はヘルシンキ大聖堂です。



<シベリウス公園> フィンランド生まれの大作曲家、シベリウスを記念した公園にあるパイプオルガンをイメージしたステンレス製モニュメント。話によると、著名な女性彫刻家に依頼して出来たものの、「これではシベリウスだか何だか解らない」との市民の苦情から、作者は不本意ながらシベリウスの肖像を後から追加したのだそうです。 右下に見えるのがそれですが首だけで一寸グロテスク。



<ヘルシンキの地下教会> 市内の露岩を掘り下げて屋根を被せた、半地下構造の珍しい教会で観光スポットの一つになっています。パイプオルガンの後ろに素堀りしただけの岩壁が見えます。格子状に並んでいるのは屋根を支える柱でその間から外光が差し込むようになっています。



<バルト海の夕焼け> ヘルシンキから400km西のストックホルム(スエーデンの首都)まで一晩船旅をしました。写真は上甲板から夕日が沈む舳先の方を撮したもので、強い向かい風でマストの上のフィンランドの旗が真横にはためいています。ついでですが、ロシアのサンクト・ペテルブルグ(ソビエト時代のレニングラード)はバルト海の最奥で、ヘルシンキから300km東にあります。



<ニュー ヘアスタイル?> 雨上がりの上甲板は、向かい風に船の速度が加わって風速10mくらいの風が吹き荒れていて、見物に登ってきたティーンエイジャー達は髪の毛が逆立ってキャーキャー大騒ぎ。女房が頼まれて写真を撮っている隙にこちらも彼女らをパチリ。



<バルト海の雲> いつの間にか北の方に奇怪な形の雲が出ていました。海は極めて静かで船も揺れませんでしたが、北の上空には強風が吹いていたのかもしれません。水平線に沈む夕日を見ながら丁度100年前の1904年の今頃、バルチック艦隊もこの辺を通過したに違いないとの感慨に打たれたものです。
(記録によれば1904年10月15日、ヘルシンキのほぼ対岸にあるリバウ軍港を出港、当時スエズ運河はまだ出来てなかったので、はるばるアフリカ南端の喜望峰を回り、途中英国の妨害工作で石炭を積めず何回か足止めを余儀なくされ、7ヶ月余もかかって1905年5月27日に対馬海峡迄来たところで東郷艦隊に遭遇、激戦の上ほぼ全滅しました)



<バルト海フェリー> 翌朝ストックホルムに到着する直前に、乗っている船の同型船とすれ違いました。お客以外にバスやトラック、乗用車などもそのまま積み込んで運ぶのでフェリー(渡し船)と呼ばれますが、実際は見たとおり巨大な船で、パンフレットによると、総トン数 35,500 トン; 長さ170m; 幅28m; 船客定員 2,420; 車 420台 又はトレイラー 50台 となっていて、バルト海沿岸諸国間の重要な輸送手段になっていることを伺わせます。ストックホルムで降りて解りましたが、船首と船尾部分がパックリ開き、下甲板が前後を貫通するトンネル状になり、車両は運転したまま自力で乗り込み、降りるときは乗ったときと反対側の出口から自力で出られるようになっていて、極めて短時間に乗下船出来る構造でした。



<あとがき> 「バルト海を豪華船でクルーズ」というと、いかにも優雅に聞こえますが、帰国後落ち着いて考えてみたら「飛行機に乗せ、ホテルに泊めるより、船中泊の方が安上がり」という旅行社のたくらみ?だったかもしれません。それはともかく、夜行とは言え3万トン余の大型船による船旅は初めてで、日没と夜明けの景色など充分楽しめました。
この船については、もう一つ意外な経験をしました。夜中の3時頃エンジン音が止まったので、「故障か、それとももうストックホルムに着いたのか」とびっくりして船室の窓から外を覗いたら、寄港地としては知らされてなかった何処かの港に停まっていて、どうやら荷扱いをしているらしいと思っている間もなく15分くらいですぐ動き出しました。多分車両の乗降か郵便物の扱いだったのでしょう。この時、接岸、離岸とも全くショックがなくその操船技術に舌を巻きましたが、帰国後思い出して調べた所、近代的な船ではスラスターと言って船首や船尾付近の喫水線下に船体を横断する穴があり、中のプロペラを回すことで船が左右に動く構造になっていて、接離岸時には船長か一等航海士がブリッジの横に張り出している専用の場所から舷側を見下ろしながら、ゲーム機よろしくジョーイスティックを操作することで、タグボートの助けを借りずに微妙な操船が出来るようになっていると解りました。

フォトアルバム 撮影データ

撮影時期:2004年9月
撮影場所:フィンランド(ヘルシンキ)、バルト海
カメラ: PENTAX MZ-5、レンズ: SMC PENTAX-FA 28-105 ズーム

以上
 
 
Photographs copyrighted (2003〜2005, Vic Goh)
 
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