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このフォトアルバムは最初のVol-1で書いたように、数十年間に撮り溜めた写真の中から、丁度古いアルバムをめくるように、往時を思い出しながら選び出したもので構成しています。自然の風景それも山や湖、それにオーロラなど自然現象を中心に選んだつもりでしたが、実際は飛行機、鉄道、車など乗り物も度々登場しました。このあたり、子供の時に好きだったものが染みついていて何かと顔を出すようです。今後もこの様なコンテンツで続くと思いますが、変わらずお付き合い頂ければ幸いです。
(2004-10-1)

Vic Gohのフォトアルバム Vol-14
2004年11月2日
郷 勝哉
ネパール(その2)

<まえがき> ネパールその1(Back Number: Vic Goh's Photo Album Vol10)では、チョモランマなどヒマラヤの高峰や古都カトマンズの風景などをご覧頂きましたが、今回は趣向を変えてネパールの山と都会の子供達の写真です。



<山の子供達>ネパールヒマラヤへようこそ。

その1でサランコットという山に登った事を書きましたが、我々が「ふうふう」言いながら登っている時、籠を背負ってすたすた登ってくる少女達の一団に追いつかれました。観光客慣れしているのか、その中の一人にカメラを向けたら、ちゃんとポーズをとってくれました。後ろの雪山はマチャプチャレ(6,999 m)です。


山の子供達はよく働きます。手前の子は中学生ぐらいでしたが、その後ろに空の籠を背負った小学生ぐらいの子の姿も見えます。 多分この辺で穫れる柑橘類を麓に運んだ帰りだったのでしょう。


色が黒かったので遠目でお地蔵さんかな?と思って近づいてみたら、かつぎの様なものを頭から被った幼児が道端にぺたんと座っていました。親の姿は見えませんでしたが、近くの畑で働いていたのでしょう。


色は黒いがヒマラヤじゃ美人? 籠をかつぐ幅広のベルトを頭からかけています。
この子は驚いた事に英語で話しかけて来ました。歩きながら喋っているうちに、「勉強するのにボールペンがいるが持っていないか?」 とねだられました。どうやらそれがお目当てで話しかけて来たと解りましたが、持ち合わせは無かったので、代わりにグリコのポッキーを数本あげたらそれで満足したらしく、すたすた先に登って行きました。



山道の途中の小学校では屋外授業をしていました。10月でも緯度が低い分日射しはかなり強いのですが、子供達にとってはそれが当たり前なのでしょう、帽子も被らず先生の話を熱心に聞いていました。傾斜地に建てられたレンガ積みの立派な校舎は、どの国だったか忘れましたが海外からの援助で建てられたと掲示してありました。


サランコットに登ったのは、ポカラというリゾート地のホテルに泊まっていた時ですが、
アトラクションとして、ヒマラヤ登山のサポートで有名な山岳民族、シェルパの踊りがありました。色白の美人は大人っぽく見えますがハイティーンで、我々と同行したIBMとDEC*の若者二人と意気投合?、最後は舞台に引っ張り出されて一緒に踊りました。
* Digital Equipment Corporation, 後にコンパックに吸収され、そのコンパックは更に数年前HPと合併



子守りをする少女、 日本でもかってはごく当たり前の風景でした。この子はホテルの使用人の子供の様でしたが、履き物も着ているものもきちんとしていて、山で出会った子供達とは別階級の様でした。(ネパールはカースト制があり、そのための階級的違いがよくあります)




<都会の子供達>

沢山の棒が突きだした様に見えるのは笛ですが、どうやら売り物の笛より笛屋の口上に人気が集まっているようです。他方一番右の子は遺跡に掴まって遊んでいます。
足許をよく見るとサンダル履きあり裸足ありで、この1986年当時は伝統的?裸足の方が圧倒的でしたが、今は民度も上がり裸足は少なくなっているでしょう。
(ネパールの首都カトマンズにて)



カトマンズの少女達、写真ではよく見えませんが、おでこにティカと呼ぶ幸福をもたらす赤い印をつけています。


ネパールは多民族国家で、この浅黒く精悍な顔の少女は何族か解りませんが、山でボールペンをねだった子とは大違いで、その執拗な押し売りには閉口しました。それでも生活がかかっているのだろうからと、何か買ってやろうかと思ったのですが、一人から買うと大勢が押し寄せるから相手にしてはいけないとガイドに止められました。


古い建物の前で裸足で遊んでいた幼児たち。小さい子供達はどこでも陽気で屈託なく、貧しさを感じさせません。


大人のリーダーに連れられて、バドガオンという古都の寺院に巡礼に来た少年達。田舎から初めて出てきて何もかも珍しく嬉しいのでしょう、先のすれっからし少女とは全く違い、皆純朴そうでとても良い表情なのが印象的でした。


町外れの金属細工屋で働いていた少年。真鍮の針金をバーナーであぶって曲げ、アクセサリーを作っていました。細工物だけでなく、ホテルの造作一つを見ても、ネパール人はかなり手先が器用な人種のようです。


巨大な菩提樹の下で遊ぶ少女達。ネパールには石垣を積んだチョータラと呼ぶ休憩場所があちこちに設けてあり、そこには必ず菩提樹が植えられ日陰を作っています。


チョータラで遊んでいた男の子達にカメラを向けたら、揃ってガッツポーズ。


<あとがき>

普段「子供好き」という自覚は特に無く、風景それもなるべく人が写らない自然のままを撮っていたつもりでしたが、改めて見直してみると子供達の写真も結構ありました。それも孫がいる年齢になり、初めて目が向くようになったということかもしれません。ともあれ殺伐な戦争や事件が多いこの頃では、各国の子供達の笑顔が特別貴重のように思えます。

フォトアルバム 撮影データ

(最初の写真のみ、ビクターにも馴染みが深い湘南高周波(当時)社長の稲葉さんの撮影)
時期:1986年10月
場所:ネパール、カトマンズ 及び ポカラ周辺
カメラ: HONEYWELL PENTAX SP500; レンズ: トキナー 35−105mmズーム、ZEISS IKON SUPER IKONTA (6x4.5 セミ版); レンズ: テッサー 70 mm 及び NIKON L35TW (2焦点コンパクト)

以上

 
 
Photographs copyrighted (2003〜2004, Vic Goh)
 
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