内山晧之さんは昭和40年入社 生産技術部に配属となり、当時の先端技術であった「標準工数」の設定など大きく貢献され 新モデルのコスト見積もりの時など、人件費に並ぶ大きなものとして「製造費用」の精度の高い見積もりは大きな課題でした。それが標準作業と 標準工数が決まると誤差の少ないコスト算出が出来、事業の発展に大きな貢献をされました。 そして今年2020年1月 永眠されました。 享年78歳でした。 |
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陶山忠男さんは、昭和38年入社 輸出モデルの設計を担当され、後に技術部長、副事業部長を経験されました。 そして去る2020年12月16日、特殊ガンに侵され永眠されました。 享年79歳でした。 個人的には絵画を得意とされ、我が杉の会HPにも沢山の絵画を投稿していただきました。 こちらからご覧になれますので、在りし日を偲んでいただければ幸いです。 |
西岡俊彦さんは昭和56年途中入社 入社2年目にしてMCカートリッジの最高峰MC-L1000の開発を担当され、大変な評判を得ました。 そして今月12月21日突然の「心筋梗塞」であっけなく旅立たれました。 享年73歳でした。 そして杉の会にとって大きな分岐点になった今年、杉の会の運営について「幹事団」を発想され実行に移されました、また「Web杉の会」を提唱され、 大いに貢献されました。 |
山田雄三さんは、昭和35年入社、 電蓄技術科に配属され、昭和37年大和工場完成により 移転、輸出ステレオ設計に従事、その後アメリカに駐在、帰国後技術部復帰、以後技術研究所、音響研究所 に所属、更に「オーディオ研究所」を経て退職に至ります。 その後「Baywebs Studio Inc」を設立運営され、そのサーバーに我が杉の会HPを無償で使わせていただき 現在に至ります。 そして去る5月に永眠されました。 |
萩原正喜さんは、 昭和36年入社 ステレオ事業部輸出技術部でモデル開発に従事 その後海外駐在(NewYork)自社製品に求められる 性能/他社比較/専門誌への対応、技術情報収集 安全規格取得業務などに従事されました。 1997年?ご卒業、コロラド州デンバーに移住され現在に至ります、 去る2月に永眠されました。 萩原さんは杉の会に「コロラド便り」と題して2002年から60回(5年間)にわたりレポートされ 会員は毎月楽しみに読ませていただきました。 |