杉の会10周年に寄せて

 ことしの「杉の会」は第10回目の節目を迎えるから是非参加を…との熱心なお誘いを幹事団から頂戴した。
「ほー、もうそんな時期になるのか〜」と思うのもやむを得ない。
なにしろ第5回の開催された2005年の秋、旅先で「急性下行動脈解離」(別称:解離性大動脈瘤)という発症率6ppmの厄介な病に冒されてしまった。たった3週間の入院で急性期は脱し慢性期に移行したものの、 「外科的治療は過大なリスクを伴うゆえ、延命を望むなら、肉体的にも精神的にも神経高揚させ血圧上昇を招くような賑々しい場を避けて、静かに隠遁生活を送るべし!」と医者から冷たい宣告を受け、
瞬発力を要するゴルフも、何十年の喫煙も、飲むより騒ぐのが好きな酒席も…みんな、ぷっつり縁を切って“ハレ”の場へは近づかなくなってしまった私の記憶の中に、第6回以後の「杉の会」情報は存在しないのだ。
 第10回の参加者は60名を超える見込みと伺った。 これまで会を維持してこられた歴代幹事各位の確かな継承作業と、併せて会の主旨に賛同し参加戴いている諸兄のご協力の賜物と深い感謝の念を抱くばかりであるが、元より会の対象者は「ス技在籍経験者の会社OB仲間」としたゆえ、10年も立てば新規メンバーも増えて当然のこと。そもそも“杉の会”って 何だ…といった疑問をもつ御仁もおられよう。
10周年の機に、発起人のひとりとして発足のいきさつを振り返ってみたい。
  十年一昔とは良く言ったもので、振り返れば、ことはもう前世紀に遡る昔の話になる。
大変厳しい経営環境下であった世紀末の1999年初、私は定年を迎えた。
当時多くの社員が早期退職を余儀なくされる一方、定年を迎える最後の日まで必死に業務に精励される人もまた少なからず…という中で、不肖な社員であった私は、半年も早く後任への業務引継ぎを終えてしまい、不謹慎にも余した自己裁量の時間を使って、永年お世話になった“御礼参り”を致すべく、各事業所を訪ね廻った。
大和・前橋・岩井・久里浜・横浜…など十指にあまる部署・職場・グループで、次世代を担う若い人たちの夢を伺う傍ら、往年の仲間たちに幾たびも送別の会を設定していただき、往時をしのび思い出を新たに致すことが出来たのは真に幸せであった。 

  私の入社した昭和38(1963)年は、大和工場が竣工した年で、営業実習を終え配属された新人に、横浜から大和への引越しが最初の仕事であった。以来、会社生活の3/4の27年間を大和工場でオーディオ事業に携わって過ごすことになったのだが、定年時に改めてゆっくりと懐古して見ると、やはり最初の12年間、大和の新天地で、鈴木大先輩を初めとする諸先輩の方々の熱い薫陶を賜り、音楽と触れあう感性を培い、また多くの仲間たちと共に切磋琢磨しつつ開発設計に心血を注いで過ごしたステレオ技術部時代が、自分の社会人としての原点であり、心の支え、心の故郷であったことを改めて痛感し、会社組織や個々の境遇がどのように変革・変遷をしようとも、苦楽を共にした諸先輩や仲間たちと、初心に還って語り合う場を持ち、そこからまた新たなエネルギーを生み出して行きたいな〜という、いささかエゴイスティックな願望というかノスタルジーが沸き起こってしまった。

 そんな思いを、フナサカさんやマナベさんなど身近の何人かに話した処、皆さんから大いなる共感をいただき、しからば「ステレオ技術OB会」を立ち上げようかという話に発展したのだった。
 何しろ「ス技」という職場名称は、横浜工場当時のステレオ製造部技樹課(ス製技)が、1963年10月新設の大和工場に移転したステレオ生産部(のちに事業部)傘下の技術部(略称ス技)として改組改称されて以来、1986年オーディオ事業部技術部に再編されるまで約四半世紀にわたって存続した伝統ある組織名称である。生産技術やデザイン部門との統合・分離などな紆余曲折を経て在籍経験者も実に多数に及んでおり、正確な記録が得られなかったこともあり、第1回はとりあえず発足会という主旨で、エイヤッと30年遡った1969年にターゲットを絞り、記憶をたどって思いつくまま当時の在籍者にのみ声をかけ、1999年4月24日に立ち上げた。

 会の名称については、当時のなんとなくギスギスしていた社内雰囲気の中、“派閥の集合”といった誤解や噂の種を蒔くことにならぬようとの配慮から、植物の“杉”の字を当て偽装?することとしたが、これにはいささか個人的な思い入れもあった。 些細な話ではあるが、幼時より終戦前後にラジオから流れていた「お山の杉の子」という唱歌がなぜか耳にこびり付いていた。どうやら、生来グズな性格で何事も叱咤激励されないと前に進められない自分の性格に起因しているのだろうか、♪コレコレ杉の子起きなさい…の歌詞が、意識の底に浸みこんでおり、ステレオ技術の略称「ス技」と記憶メモリーの中で絡みあって時折ひょっこり蘇ってくることがあって、思いつくままに「発足会の仮称」として提案させてもらったのだったが、そのまま継承定着してしまったという次第である。 『名前なんぞ何だって良い。会の存在こそに意味がある…』というのが諸兄の思いではないだろうか。

  私事ながら冒頭に触れた如く、厄介な病に冒されて以来5年を経過したが根本的な治癒は困難なため、なかなか出席はおぼつかないのが何より残念ではあるが、この後も「杉の会」が益々永続繁栄し、メンバー各位が健康を維持され、末永くご出席されることを心から願ってやまない。
2008/09/09 澤田龍男 
♪お山の杉の子ってどんな曲?
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