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ウオーキングでの「とっさの一言」
 

尾崎 英明

天気のよい日には約1時間ほど歩くことにしているのですが、歩いていると色々な事に出くわしたり、いろいろな人に出会ったりします。面白いのは突然発する「とっさの一言」。とっさの一言は考えている時間を持たず、悲鳴に似て飾りがなく、その人のすべてがにじみ出ている言葉のように思えます。その中にはどこか心の片隅に残っている「名言?」があり、今回はそれら数例をご紹介させて頂く事に致します。



「とっさの一言」 (その一)

 夕方、私の前を中年の夫婦らしき二人が歩いていました。互いに言葉はなくもくもくと。これはごく普通の夫婦とおぼしき光景で、結婚して何年も経つと互いに空気のようなものになり、別段話はしなくても時間が過ぎてゆく。そういう感じの二人連れでありました。

 しばらくして、だんなの方が右の小路に曲がったのでした。奥さんのほうは曲がる気配がないので、あれ?と思った瞬間、奥さんから出ましたね「とっさの一言」。
“どこぃいくの?!” “どこぃいくのよ!” と。
この「とっさの一言」は文字ではとうてい表現できないし、口で真似の出来ない一言でした。おそらく名女優であっても簡単には真似出来ないだろうと思われるくらい絶妙というか、「名演技」だったのである。

 最初の“どこぃいくの?!”は奥さんも面食らっている様子が如実に表現され、次の“どこぃいくのよ!”では“このバカのボケ亭主が!、どこをみて歩いているんだ!うちはそこじゃないんだぞ!“のように、亭主を本当に見下しているようで少しドスのきいた威圧感のある声で亭主をどやしつけたのである。
それでいて、奥さんの声には子供を諭すような母性愛を含んだやさしさをも感じさせるものでした。
亭主は別に何もいわず、なに事もなかったように戻ってきて、また二人で無言のまま歩き出しました。

 ボケ亭主はたぶんロマンチストだったのかもしれませんね。昨日のパチンコの成績がかんばしくなかったので、こんどは、どの機械で攻めてやろうかとか、釣りに行って逃がした魚の感触が忘れられず、こんどはどんな仕掛けで攻めてみようかとか、いやもっとレベルの高い事を考えていたのかな?、もっと遠大に、何億光年の宇宙の旅を夢みていたのかも知れません。

 家の中ではかかあ天下の言うなりにまかせ、それでいて、奥さんの保護を目いっぱい享受しながら、幸福な家庭を築いているんだろうかとか、いろいろ想像してみるのが面白い。勝手に想像しながら“ウフフッ”と可笑しくなりり、またその真似を繰り返してみたくなる程、心に残る「とっさの一言」なのでした。



「とっさの一言」 (その二)

 和歌山城公園の桜は毎年にぎわいを見せます。普段は何もないこの公園もさくらの季節にはたくさんの出店が並びます。子供のころと少しも変わらない出店。綿菓子、焼きイカ、やきトーモロコシ、ヤキリンゴ、お好み焼き、タコ焼きなどのたべもの店や金魚すくい、お面、風車、風船、水風船のヨーヨーなどなど。

 “なつかしいな”と思いながら出店をのぞいていると、若いお父さんが、そう4歳ぐらいの子供を肩車にして歩いてきました。しばらくしてその子供が大声で“えー、見てらっしゃい、聞いてらっしゃい、寄ってらっしゃあい〜!”と大声で寅さん顔負けの呼び込みをかけたのでした。

 このとき肩車をしていたパパが“あほかあ〜”と「とっさの一言」を発したのである。子供の呼び込みで吹出しそうになっていた周囲の人たちはこの「とっさの一言」でたまらず吹き出してしまいましたね。
これも文字では言い表すことが出来ない絶妙の一言でした。

 この“あほかあ〜”もあとで真似てみましたが、どうにもうまく出来ませんでした。
この“あほ”には“そんなバカなことを大声で言うものではないぞ!”という意味や“お前面白い事をうまくいうもんだな”という意味も含み、また呼び込みの真似をしたわが子が可愛くて仕方がないといった深い愛情をも含むように感じられるのでした。“あほ”という言葉を使っていみじくも表現した、これも一級の「とっさの一言」でした。

 関西にはこのようにいろんな意味を持つ言葉があるように思うのですが、この“あほ”は“バカ!”となったり、“冗談言うな”となったり、軽い否定の意味になったり、同情の意味になったりで、その時々の状況や発音の仕方で意味が変わるのである。関西で“あほ!”と言われてもあまり怖くない。それが“ばか!”と言われると大変なショックを受けるのである。子供を諭すのは“あほ!”のほうがあたりがやわらかくてよさそうの思えます。この一言もこの地に育ったものでなければ発することの出来ない「あほかあ〜」でした。



「とっさの一言」 (その三)

 関西の「おばはん」は元気である。そんなひとコマ。
これはウオーキングとは関係ないのですが、デパートの食堂街を歩いていた時のことです。ある食堂から3,4人おばはん連中が出てきました。 その一人がいきなりの「とっさの一言」。 “ああ〜、はらいっぱいやあ〜!”と食堂街いっぱいに鳴り響かせたのでした。

 関西ならではのとっさの一言でしたが、このおばはんは何かを表現せずには居られなかったのでしょう。それは周りの友達に対するサービス精神からで、満腹感の表現だけではないのです。ここに関西人のおもしろいところがあるわけで、周りの友達が多いほどこれがエスカレートします。この時は3、4人でしたので一発どまりでしたが、6,7人になるともっと連発しただろうと思います。

 こうして何事にもそれをネタにして、みんなで楽しむ。ちょうど子供がなんでもおもちゃにして長々と楽しそうに遊ぶに似ているのが関西のおばはんなのです。
これをうるさいと思う人はおばはん連中の集団には近づかないほうがよいと思います。



「とっさの一言」 (その四)

 今度はかわいい「とっさの一言?」です。いつものウオーキングで信号待ちしていた時のことです。
ふと目を下に向けると乳母車に赤ちゃんが乗っていて、そのお母さんも信号待ちしていました。 目を元にもどし、しばらくしてまたその赤ちゃんを見ると、まだじっとこちらを見つめているではありませんか。私もじっとみつめると、まばたきもせずにこちらをみつめているんです。

 ほとんどの赤ちゃんはじっと見つめるもので、こうして廻りの人をおぼえるのでしょうが、その目は限りなく澄んでいて本当にかわいいものです。おもわずあやしてしまいましたね。するとその赤ちゃんが「とっさの一言」を発したのです。“にこっ!”。

 ちょっとこじつけの様ですがこれがまた大変にかわいく、その日のウオーキングは足取りも軽く快調でありました。
 
                 
尾崎 英明

 
     
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