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和歌山の散歩路 その2 「和歌山城公園(紅葉)」

尾崎 英明


今回は和歌山市の中心にある和歌山城公園内を歩きます。
現在の和歌山城の天守閣は昭和33(1958)年に復元された、比較的新しいものです。最初の築城は豊臣秀吉で、天正13(1585)年だそうです。その後、いろいろな歴史 をきざみながら、今は平和な、観光スポットとして、また市民の憩いの場所として秀麗な姿でそびえ、楽しませてくれています。

岡田門のハゼ

 公園内に入るには、五つの門があります。私の一番好きな「岡口門」は、お城の南側の「三年坂」通りに面した所にあり、最初はメインの門(大手門)であったとされるところです。現在の大手門は反対の北側の「けやき通り」に面したところに移っています。慶長13(1608)年ごろ?の様です。豊臣から浅野藩主に変わってからの大改修の時だそうです。

 そんなことを考えながら、岡口門をくぐります。すぐ左側に石垣があり、よく見ると家紋のようなものが刻まれている石があります。この刻みは、お城の築城の際、石材を献上した藩の紋、あるいは石材の材質、いや魔除けのため、と色々説があるようです。和歌山城には、2100個、170種類のこうした刻みがあるそうです。いちいち数えた暇な?お人もいるものです。(冗談です)

紅松庵前紅葉

 その石垣の階段を登ると、三年坂からも見ることが出来る真っ赤な紅葉があります。はぜの樹のようで、かなりの年代もののようです。今年の冬は早く、急に寒くなったせいか、紅葉は例年にくらべ、大変きれいに仕上がっています。
この場所は、高級カメラセット持参の年金族?に人気のあるスポットです。
必ず2、3人は三脚を据えて、撮影しています。今回私もその中に遠慮がちに加えて頂き、紅葉を撮影しましたが、最初の感動どおりにはなかなかうまく撮れないものです。
写真を撮り終わり、階段を降りて公園を反時計廻りに歩いてゆくことにします。
すぐに左側にお城(伏虎山)に登ってゆく階段(表坂)がありますが、ここはまた後にしてそのまま進みます。この通りには、以前市電通りに敷いていた敷石を敷き詰めています。廃品利用ですね。今はもう市電を見ることが出来ません。市内をはしるのは車ばかりで、歩いている人影もまばらで、商店街も寂れるばかり、また市電の復活を真剣に考えている人もいるようです。私も市電のような交通機関があってもいいなと思います。今のままでは、ゴーストタウンに等しいと思います。

 歩いていると、いろいろな事に気がつきます。以前この市電敷石路で5、6人の小学低学年らしき、子供達に出会いました。引率者は先生のような男性1人。平行に並んでうたを合唱しながら、楽しそうでした。対向の私など目に入らないらしく、まっしぐら。私もわざと止まらず歩いてゆくと、思いっきり肩がガツンと。もちろん引率者も生徒 も振り返りもしませんでしたね。いまの教育を見たような気がしました。
先生が生徒の機嫌をとっているのではないかと。そこまでして、生徒にモテようと思っているのではないかと。街なかを歩いても色々と気になる場面に出くわします。
子供だけではありません。オバさんなどは特に目立ちますね。こどもはよく見ているようです。先生達は、たまには休日は街中を歩いてみは如何がですか、教え子はどんな状態かすぐわかりますよ、と言いたくなります。
残念ながら、市内のモラル(小さな)はかなりひどいものです。そして皆その状態に慣れてしまっているようです。歳をとると、腹の立つことが多くなり困った事です。気をつけなければと思っています。

菊花展

怒りの気持ちを鎮めながら、進みます。秋恒例の「菊花展」です。規模は小さいですがかなり立派な菊が並んでいます。どうして、こう揃って咲くのか、不思議です。
菊って毎年同じ木に咲くのかな?と思うような品種もあります。この種は岩の裂け目に根をくい込ませて、小さな黄色の花をつけていますがどう見ても1年では完成しない様な「古木」風に仕上がっています。出展者は毎年同じようです。毎年見ているとマンネリの感がありますが、更に詳しく観ていると、また新しい発見もあります。

 この付近は春、一面の桜花でにぎわうところです。いまはその紅葉の真っ最中で、中々きれいなもので、見ごたえがあります。桜樹の紅葉のきれいな仕上がりは初めてみたような気がします。桜葉の紅葉をながめながら進みます。右に行くと前述の「大手門」に出ますが、今回は左に舵をとり、散歩を続けます。

 「二の丸広場」です。ここは芝生のじゅうたん、松、さくら、石材、楠木などなどのかなり広い公園になっていて、天気の良い日などは、ヨチヨチ歩きのお子さんを連れて若いパパ、ママの姿がのんびりと遊んでいます。若かった頃を思い出させてくれます。こういう光景をみるのは、ほのぼのとして、大好きな光景です。
暖かい頃には奥のほうでホームレスらしき人にも出会います。ちゃんと犬を飼っていますから、結構な暮しぶりです。こういう人たちは帰る家がないとは限らないのだそうです。家には怖いカミさんがいて、外の良い空気を吸い、花見をしながらのんびり暮したほうが、ずっと幸せだと思っている様なケースもあるようです(本当かな?)。昔は家老や藩の重臣達の家々が建ち並んでいたところだそうですので、ホームレスも家老になったつもりでいるのかも知れません。贅沢な暮らしと言えるかも知れません。

 進みます。こんどは「裏坂」で、お城に登ってゆく階段があります。ここは前述の表坂よりも緩やかな階段です。自転車を押してでも登れそうです。ここもそのまま進むことにします。

 今回のメインである、紅葉の「二の丸庭園」別名「もみじ渓庭園」が見えてきました。
ここは、家康の第十子である徳川頼宣の時代の築造とされています。昨年から、入園無料になりましたので、とたんに人気が出たのか、毎日にぎわっています。この庭園のカエデ、トウカエデなどを中心にした紅葉はすばらしく、日光にあたるときらきら輝きます。北の堀の終端を池として築いた優美な日本庭園です。堀池に浮かぶ「柳の島」もなかなか風情があります。
奥の方に故松下幸之助氏(和歌山市名誉市民)から寄贈された茶室「紅松庵」があり、 この周りも大変紅葉がきれいです。中に入ると綺麗な和服姿のお嬢さんがお茶を出してくれます。「点(たて)出し」とあります。茶道の心得が無くても大丈夫です。気軽に楽しむことが出来ます。ただし1人400円です。ここでお茶をいただき一服した後また紅葉の撮影を楽しみます。堀池(北堀)に浮かぶ「鳶漁閣」を入れての紅葉のスクリーンはすばらしく、ここでも写真を何枚か撮りました。

鳶漁閣

反対の出口から出ると観光バスの駐車場で、観光物産店があります。この中で目を惹くのは「紀州手毬」です。やはり徳川時代からの伝統だと思いますが、高級なものでは16、000円位です。ちょっと高価すぎるとは思いますが、ガラス箱入りで立派なものです。
お店の前にトイレがあります。総檜づくり?の日本家屋調で、お城と調和がとれていて、贅沢な造りで自慢できるものだと思います。お城を訪れた際はぜひ一度ご利用をお勧めします。
さて紅葉はここで堪能できましたが、まだ公園を半周しただけです。紅葉渓の入口に戻り、歩を進めます。右には吹上大門があります。ここは大手門の西側にあたり、ここからJR和歌山駅に通じる「けやき通り」に出ることが出来ます。今回は左の方に進みます。
「砂の丸広場」に出ます。ここは現在いろいろな催し会場になっていて、消防出初式、植木展示会、フリーマーケット、全国鉄砲隊(火縄銃保存会)大会、ゲートボール大会、運動会、等々。更に歩いてゆくと、「追廻門」別名「赤門」です。馬を追い廻わした ことからの由来だそうです。ここから乗馬したまま、城内に入り、砂の丸広場で馬の調教をしたとの事です。本門は北鬼門になっているので、朱塗りは魔除けのため、とあります。
さらに進みますと、「護国神社」の入り口です。この中はある覚悟をして入らないとどうして良いかわからなくなる所です。第何個連隊(全滅)という慰霊塔が建ち並んでいます。ここに奉られている霊はどれ位かは想像も出来ません。
己の面子にこだわり、ずるずると戦いを延ばし、命の安扱いをした結果ではないかとまた怒りがこみ上げてきます。前回の片男波公園の時も1945(昭和20)年7月9、10日の和歌山大空襲による死者の無縁墓がありましたが、公園の片隅にはこうした戒めの箇所が配置されています。必見の場所でもあります。

 護国神社に入る勇気がありませんので、今回は勘弁してもらってそのまま少し行くと「新表坂」があり、今回ここから伏虎山のお城に登ってゆきます。登らずにそのまま行きますと、小規模ですが、小さなお子さん連れに人気の「動物園」があり、さらに進みますと、この散歩路の入り口「岡口門」に戻れる様になっています。
まだまだ歩けそうなので、お城にのぼります。途中は「お城の森」の森林浴で先ほどの怒りも癒されます。途中リスの餌付けのえさ受けがあり、えさを入れるとどこから」ともなくリスがやって来てくれます。子供達に人気があるようです。
数々の巨木もあり、「お城の巨木」だけでも1つのテーマになりそうです。
天守閣が見えてきました。ここも大空襲で焼夷弾の直撃で全壊、戦後13年間の市民による努力で江戸時代とほぼ同等の外観に再建されたものです。学生時代、春、夏の休暇には必ず家に帰りましたが、途中下車をして、一度和歌山城を見学したのを覚えています。今思うと出来たてのホヤホヤだったわけです。天守閣に登るのは有料ですが私は今年から高齢「優待券」で無料です。
久しぶりに登ることにします。天守閣への入り口は楠ノ門と呼ばれています。楠の木で出来ているからだそうです。2階に上がると当時の鎧兜や刀、槍などの武具を中心に展示されています。3階には当時の文書などの資料が展示されていますが、私には全く読解できません。解説をみて、内容を理解します。4階は展望台になっていて、外側の回り廊下から、市内を360度一望する事が出来ます。しばらくながめ、この散歩路の筆を置くことにいたします。あとは先ほどの「表坂」から降りてゆき、最初に入りました「岡口門」に戻ります。

 ながながと書いてしまいました。和歌山城はまだまだ書き足りないのですが、今回はこれで失礼致し度いと思います。
有難うございました。

                 
尾崎 英明

 
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