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コロラド便り(その2)

2002年12月1日
萩原 正喜

11月28日のThanksgiving DayからはアメリカではHoliday Seasonの始まりと言うことで町では年末商戦真っ盛りとなり、人々が浮き足立ってくるのを感じる季節になっています。

デンバーの町は緯度で言うと日本の岩手県の三沢あたりに当たりますが、町の標高が1600mと高地である事から、もうこの季節では通常北のワイオミング州を横切っている上空のジェット気流が蛇行して南下して来るとカナダからの寒気でコロラドは一気に縮み上がると言った最近の陽気です。
11月24日(日)に地面一面が白くなる程度の雪が少し降ってその翌日の月曜日にはデンバーでは日中の最高気温で摂氏+1度、そして朝の最低気温は摂氏零下12度になりました。 風が吹かなかったのでまだ幸いでしたが、結局Thanksgiving Dayの一週間は日中でも寒い一週間となりました。 これで早くも今シーズン4回目の降雪です。 ロッキー山脈の各スキー場はお陰でその殆どがオープンしていよいよ冬のスキーシーズンの始まりです。

今回はコロラドでの最近の2つの話題をお伝えします。
投資・資金運用の雑誌Moneyの「アメリカの住み良い町10傑」の一つにデンバーが挙げられた:

雑誌Moneyが毎年行っている「アメリカの住みたいと思う町10傑」はその年のアメリカ人の経済生活動態から選択カテゴリーを幾つかピックアップして、アメリカ内の各都市について採点してベスト10を発表するもので、従来から人口の増加状況、住宅のここ10年間の購入価格動向などが主体に選択されてきたが、それらに加えて今年は住民の質、住宅地環境、経済活動地域などのその地域への経済発展への貢献度などの判定項目が挙げられている。
毎年、その審査対象項目の選定が少しずつ変わるのでランクされる都市名が変わるわけである。

デンバーはかって1989年には10都市の4番目にランクされた事が有り、1994年にはアメリカの5大都市と並んでランクされているが、それ以来登場する事が無かったので、今回は8年ぶりのランキング帰り咲きとなっている。
ちなみにその10都市を住み良い町順でなく、アルファベット順に記すと下記の様な各町である。

オースチン (テキサス州)
シャーロット (ノースカロライナ州)
シカゴ (イリノイ州)
デンバー (コロラド州)
ラスベガス (ネバダ州)
ロサンゼルス (カリフォルニア州)
ニューヨーク (ニューヨーク州)
フェニックス (アリゾナ州)
サンフランシスコ (カリフォルニア州)
シアトル (ワシントン州) の10都市がリストされている。

今回のMoney誌でのデンバーに対する特記事項として、デンバーのダウンタウンに近接してワシントン・パークのような大きな公園スペースと住宅地が有ることや、コロラドの近年の経済発展に伴って生じた著しい人口増加の象徴とも言うべきデンバーの南西のLakewoodの住宅地の環境整備状況の良好な事、そして少し離れているが経済活動上では直結している南へ100km程の距離にあるColorado Springs の町の急速な人口増加と経済成長が上げられている。

ワシントン・パークではこれまでにブルドーザーが走り回っている一大タウン建設工事が盛んな地域であったが、現在ではほぼ完了して静けさを取り戻しており、快適な住宅環境をビジネス街に近接していながらも確保されている。
しかしながら、お陰でここでの住宅購入価格も高騰して、ある平均的な家族の家の場合で3ベッドルームの家で11年前に15.1万ドルで購入したのに現在では36万ドルと倍以上になっている。
価格は当然土地付きであるので、それでも家の大きさ広さ、住居環境などから比べると日本の人にとってみればうらやましい環境と言えそうだ。
コロラドは引退する人達にとってはアメリカでもベスト5に入る環境と言われて来たが、経済活動をやって行く現役の人達にとってもベスト10にランクされて来た事になる。

しかしながら、こうしたデンバーやコロラドの良いところも悪いところも統計となって現れる時には現実の状況に対して時間遅れが有るもので、昨年末から継続している各コロラド内の企業での多数の従業員解雇やハイテク各企業の不振などの影響は今までコロラドがアメリカの中にあっても際立って高い経済成長を今まで遂げて来ただけにその反動が大きく現れて来ていて、少々こうした「住みたい町10傑」とは遊離した感じすらする最近である。 コロラドが引退した人達にとってのみの良い場所になってしまう危惧すらする昨今の情勢といえる。

何度でもチャレンジ: データプレイ社の創業者のSteven Volk氏の履歴

DataPlayのデイスクは50セント硬貨大のもので両面で500Mバイトのデータが記録出来る光デイスクシステムでそのスイングアームを使った小型録再システムの開発会社の創業者のボルクさんのの新会社が期待されながらも遂に会社更生法の適用申請になってしまった。 以下に私の知る限りで彼の経歴について紹介したい。

日本に於いてはベンチャー企業などの創業で一度失敗すると2度と再起不能に近い環境であるがコロラドではこのSteven Volk 氏の場合に見るように一度創業してから破産しても再び新しい技術をもって新創業にチャレンジすると言ったことが許される環境に有り、また、そうした人に対しては資金投資を行う人が有る、と言った背景が残されている。
コロラドの場合はこうした新技術ベンチャーの育成に州政府自体が熱心で基礎的な準備期間から州の専門機関CATI( Colorado Advanced Technology Institute )がインキュベーターの役目を担っていろいろな経費や事務処理なども含めてサポート活動を展開している。
また、コロラドでは昔のゴールドラッシュによって発展した土地柄だけに金の採掘に当たっては地元の人達の資金を集めて採掘に挑戦する、といった習慣が有り、もし一山当てれば大もうけ、何にも出なければ残念でした、と言った風習が残っている。
今回のDataPlay社への投資についてもベンチャー・キャピタルの投資を見ると地元のベンチャー・キャピタルからの投資が殆どである。そうした意味でこの際Steven Volk氏の過去の履歴を眺めて見るのも参考と成るのではないかと考える。

たまたま私自身は大和工場に勤務している頃に機会があって彼とは仕事の縁で何度か面識が有り、彼自身もPrairieTek社時代に大和工場を訪問している、と言う事も有って現在私がコロラドに住んでいるからと言うだけでなく個人的に以前から興味を持っている生き方でコロラドならではだなあと感じている。

彼の履歴を眺めて見ると、
(1)Steven Volk 氏は最初歯医者になるつもりで学んでいたが、その途中から現在のコロラドの Louisvilleにあるテープドライブの老舗で大手のStorageTech 社に入ってデイスク ドライブの開発チームで仕事をしていた。

(2)1986年に一緒に働いていたチームメンバーと一緒にStorageTech社を抜けて新しく2.5インチの小型ハードデイスク・ドライブの開発事業化を目指す新会社をスタートさせ た。 PrairieTek と言う新会社で当時5.25インチから3.5インチへの切り替えに遅れ競業力を失って倒産したハードデイデイスク・ドライブの大手で老舗のMiniscribe社の在る Longmontの町で同社と道路を挟んで相向いに拠点をかまえてその解雇されたメンバーを吸収する形で事業化に向けての活動を行った。
社長はHPを退社したJames Stinehelfer 氏、技術担当は大型ハードデイスク・ドライブの老舗Evertech の社長をしていて未使用時にヘッドを上昇させてデイスクとのCSS( Contact Start Stop)をさせない仕組みの特許を有するJames Morehouse氏という強力布陣で、Steven Volk氏は VicePresident,Sales & Marketing という担当で同社はCSSさせないヘッド待避機構を特長とする2.5インチハードデイスクの開発を行っている。 その製品の製造委託先を求めて当時の大和工場開発機器部を訪ねて来たのが前記の3名のメンバーである。

その後PrairieTek社はシンガポールに工場を持って生産をスタートさせたが2.5インチ・ハードデイスクの需要がまだ立ち上がらず3.5インチとの市場でのコスト競争に敗れて開発時に多くを費やしうてしまった資金が底を突き資金繰りが不能となって1991年8月に会社更生法の適用申請を行ったが、結局倒産してしまった。
後になって当時3.5インチで2.5インチをコスト競争で蹴落したConner Peripherals社はドライブ最大手のSeagate社に買収される事になるが、そこでPrairieTek社の2.5 インチにまつわる特許権を1800万ドルで買い取ってその後ラップトップ・パソコンの立ち上がりとともに本格的に立ち上がった2.5インチドライブ市場での同社の強化へと接ながる事となった。

(3)Steven Volk氏はPrairieTekの会社更生法申請よりも9ヶ月前に同社を退社て、同社で同僚だったJames Morehouse 氏やJohn Blagaila 氏等と共にIntegral Peripherals と言う新会社を設立して今度は更に小さい1.8インチのドライブに挑戦する事になった。
この時彼は同社の社長となり台湾より初期の投資金額として630万ドルを集める事に成功し、今度は創立から10ヶ月で最初の商品化に成功した。
1992年にはIntegral Peripherals 社は既に次世代のモデルの発表を行ってさらに
1170万ドルの資金調達に成功している。
1994年には同社は業界で最小で最大容量のドライブを発表して日本のラップトップ・パソコンの大手T社へその技術ライセンス供与を行っている。 その後T社はそのラップトップ・パソコン事業の発展とともにハードデイスク・ドライブ事業の強化を計って、現在1.8インチの分野では業界トップメーカーとなっているのはご承知の通りである。 また、このT社の1.8インチドライブはアップルコンピユーター社の携帯用音楽録再ユニットで今日大ヒットしている iPodにも使用されている。
一方、Integral Peripherals 社は当時立ち上がりを見せていたパームトップ・パソコンにターゲットを当てて活動を展開したが思うような立ち上がりが無く、遂に1998年に会社更生法の適用を受ける事となり、最終的に倒産する事となった。
最近のSteven Volk 氏のこの時の回想としては「 業界では資金調達が十分でなかった、と見る向きが多いが自分はそうではなくて1.8インチドライブは当時少し時期が早すぎたのだと思っている。今日に於け る1.8インチの情勢を見ればそれが正しい事だったと言える と思う。」と語っている。

(4)Steven Volk氏はこのIntegral Peripherals社が会社更生法の申請をした時には既に同社に居らず退社して、新しくDataPlay 社の創業の準備を進めていたのである。
今度は50セント硬貨サイズの光デイスクを使ってその両面で500Mバイトの記録容量を狙うシステムでハードデイスクと同じスイングアームを使うユニークな録再システムの商品化を目指して1.2億ドルの資金調達に成功し,最高時で240名の従業員をそのBoulderの町に在る事業拠点に抱えて商品化に取り組んできた。資金の投資元としては地元のベンチャーキャピタルに留まらず香港、シンガポール、そして部品メーカーのMEMS Opticalや半導体のST Microそして台湾のデイスクメーカーRitek、さらにはオリンパス光学、ミネベア、Universal Music Group,インテルの投資部門、コダックと言う蒼々たる会社が名前を連ねている。
当初同社の最初の商品は2001年のクリスマス商戦を目指してその秋には出荷を行う予定 であった。 しかしながらデイスク・データの読み取りエラーにまつわる製造上の問題から今年2002年2月の発売延期を公表した。 その後この期日にも問題は解決せず6月に延期された。そして、この期日にも更に対応出来ず、8月の発売を目指したが、手持ち資金の1200万ドルが底を突いて、10月11日にBoulderの事業所を閉鎖し、10月18日には会社更生法の申請を行う事となってしまったのが今回の顛末である。
現在、DataPlay 社は今後新たに6000万ドルの同社継続運営の為の資金提供者を見つける事が出来るか、会社全体を買い取る顧客を見出すか、破産宣告を行ってその技術・特許権などの資産の切り売りを行うかの選択に迫られており、その結果に依って裁判所からの会社更生法適用の裁定が下りるか、6000万ドルの負債を抱えて倒産となるかの選択となっている。

極く最近Steven Volk氏はつぎのように語っている。
「 DataPlayを創設した4年前は世の中の資金が潤沢な時期だったが現在はそれが一変している。 不幸な事に我々がその切り替わり時期の最終段階に創立した会社だった事だ。
今までの経験を通して、ブームとなる時、そしてそれがはじける時についての経験をした。 新規開発商品の市場導入タイミングの重要性についても大変勉強と為った。」 また、「こうしたベンチャー会社は新しい技術の実現に当たって多くの人材を集め挑戦してゆき、地域の多くの人々に影響を与えるとともに、その生活を変えて行くことに価値があり、それこそ起業家のなすべき事である。」
「やがて、私はまた新しい挑戦を行うことになると思う。 今までに私自身は何回もの起業家と言われて来ている。 私自身まもなくSomething New に向って動き始めるだろう。」

以下、私見で有るが、3度目の正直、と思って資本参加したり、部品供給のベンダーとしてそのシステムの完成に向けてサポートした地元の小企業がかなり沢山に上る事が分かっている。 これらの小企業は現在コロラドに於けるハイテク関連企業が揃って苦戦している時だけに今回のDataPlay 社の会社更正法申請そして事業所閉鎖は大痛手と言うところである。 しかしながら、創業者であるSteven Volk 氏自身も何も臆する事無く次の挑戦をすると言っているし、また、周囲でも次に彼がどんな皆に希望を持たせるようなチャレンジをもたらすだろうか? と期待する、と言った環境がある。 恐らく次にも彼が素晴らしい発案をもって起業に挑戦するときは懲りない面々はまた資金供与をかって出ると思う。 日本に於いてはこの様な環境を期待する事は殆ど不可能であるがこうした環境が存在することが新規事業の開拓には不可欠な条件で、始めから成功間違い無し、と思われるものであれば資金供与が集まるのは当然であり、それでも結果として失敗につながるケースが多い分けであるからリスクを負っても大きな成果に接ながる挑戦をしたいものである。

ところで、今回DataPlay社が完全倒産と言うことになってその会社資産を処分するとなると、大手のT社の役員M氏が買いに出るのではないか?と言う様な気がしている。 Integral Peripherals の時の技術ライセンスを受けてのT社に於ける小型ハードデイスク事業大成功の2番煎じを小型光デイスクシステムで狙うと言うことだけでなくDataPlay社のスタート時よりこのT社のM氏は「これこそ次世代が要求しているメデイアで同社のパソコンのみならずTVセットにだって搭載するようになるのだ、」と大変な惚れ込みようだったのを記憶している。
さて、今後どう決着するか? 遅くとも年内にはDataPlay社のその後はハッキリするものと思われる。

「コロラド・ベンチャーの希望の星」と目されてきた DataPlay 社だけにそのシステムをまとめる為に協力してきたサポート企業数は多数に上る。 その中から特に零細企業でその特殊部品の加工納入のために設備として特殊な高価なものを購入してしまっているところなどある。
このままではDataPlay社の倒産に伴って連鎖倒産(ドミノ・エフェクト)する小企業がかなり出てくる可能性を含んでいる事がコロラド州当局などで心配されている。
現在コロラドのハイテク企業各社がその経営バランスに苦戦しており、相変わらず各企業での従業員解雇も継続している状況下での倒産となると、その周囲に与える影響が大きくなる事が大変心配されている。
今回のDataPlay社の負債総額は1000万ドルから5000万ドルの間で債権者数は200社に上るものと会社更正法適用申請書には記述されており、その中でも特に部品などの供給メーカーを主体とする不担保負債の債権者についてはその主要なトップ20社の負債総額は100万ドルから1000万ドルの間であるとしている。
去る10月11日より現在まで閉鎖されたままになっているボールダーにあるDataPlay社屋には最大時で240名の従業員がここで働いていた。 総床面積で5万平方フィートの建屋でFlat Irons North LLC 社よりリースしていたが同社では家賃のDataPlay社から未払い分の79.2万ドルが払ってもらっていない、としている。
最後にDataPlayのCOOを務めていたPK Bala氏の言「一生に一度会えるかどうかの技術だった!」。

以上、物語風になってしまったが、我々元大和工場で働いていた者にとって、多少なりとも関連の有った人が「七転び八起き」を重ねながらも現在私の住んでいるコロラドで現在に至っている、と言う事で皆さんの御参考までに記した。 次の「コロラド便り」が送付出来る頃は大晦日か元日となる。 是非来年は日米ともに経済が好転に向って、皆さん揃って元気で明るい2003年となって欲しい、と願う次第である。

[ 以上]

 
 
Copyrighted to: Mike Hagiwara
 
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