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コロラド便り(その19)

2004年5月1日
萩原 正喜/コロラド
註:このコロラド便り(その19)には、萩原さんがご自分で撮影された写真を掲載しました。写真下の解説文と共にご覧ください。
(なお、フォトレタッチは郷さんです。)

今年は浦賀沖へアメリカのペリー提督率いる黒船が来航し、久里浜へ上陸して当時の徳川幕府へ日本の開国を迫まる交渉が行われた1853年から150周年に当たり、更に翌年の1854年には横浜で日米和親条約の調印が行なわれている、と言う事で今年から来年にかけてコロラドでも日本との親善行事が多く計画されています。

コロラド州の首都デンバーにはアメリカ本土の7個所の一つである日本の総領事館が在ってコロラド州を始め隣接するワイオミング州、ユタ州、ニューメキシコ州の4州の日本の公式在外公館としての活動を行なっています。
最近のコロラドの地元新聞に載った記事によると、今度新任総領事として着任した太田氏とかってクリントン大統領時代にコロラド選出の連邦議会下院議員で内務省長官を務め、現在コロラド州政府の官房長官をやっているJane Norton 女史が会って会談を行なった、と伝えています。
コロラドの日本領事館は4州で活動する日本企業の数と日本から滞在する日本人の数が増えてきている事から1999年に開設されたもので、現在コロラド州には総計70社の日本企業が進出しており、滞在している日本人の数は2003年10月現在で4464人となっている、としています。

デンバー市とオローラ市の境界:
オローラ市からデンバー市への通勤の主要道路となっているAlameda 通りの両市の境界を示す表示板です。 海抜5280フィート(1609m)丁度標高1マイルのマイルハイ・シテイを示しています。 この5280と言う数字はデンバーを表わす時によくつかわれる数字です。
右側の長く続いているフェンスの右側は昔のLowry 空軍基地の跡地で以前滑走路が在ったのですが、現在ではパブリックのゴルフコースとなっています。 後ろに見える雪を抱いた山はロッキー山脈のMount Evans 山(標高4344m)を中心とする峯々です。

元気な日本企業としてはカメラのアサヒペンタックスのアメリカ本社がデンバーで活動しており、CD-RやDVD-Rデイスクの三井化学の製造工場などが代表的なものとなっています。
今まで高地の為空気が薄くデンバー空港から日本の成田などへの直行便が飛び立てなかったのですが、昨年延長4600mの世界一長い滑走路も出来て準備が整いましたので今年は成田行きの直行便が運行を始めると便利になりより近い日本となると期待しています。

コロラドの一般の人達にしてみるとまだまだ日本は「Far East」の遠い存在の国ですが、日常的に輸出牛肉のBSE全頭検査の問題やガソリンの値上がりでここのところ急速に人気が出てきているトヨタの自動車などを通して日本への関心が再認識されていますが、日米友好150年の記念行事の数々を通してもっと日本がコロラドの人達にとって近くなると良いと思っています。

4月4日(日)の深夜でアメリカでは一斉に夏時間(Day Light Saving Time)に入って時計の針を一時間進めています。 コロラドでは午前3時を期して一時間針を進めましたが、これで日本との時差は15時間となって、日本の朝9時では日本コロラドは前日の夕方6時と言う事になります。

既に日が大分長くなってきているところでの一時間の早まりですが朝の6時ではまだ薄暗く夕方6時ではまだ日が高い、と言った状況です。
アメリカの人達は血圧の高い人が多い為か朝起きるのが一般的に早いようで朝の5時というと既に通勤の車で混み合う様になり、6時出勤と言う人が多く午後の4時になると早くも帰宅の通勤ラッシュとなります。 こうした夏時間のシステムの良し悪しについては議論のあるところですが、こちらの人達にとっては長年のしきたりですので、何も無かったかのように自然に切り替えています。


Lowry 空軍基地跡:
デンバー市とオローラ市の境の広大な土地は最初にコロラドに出来た空軍基地Lowry Air Force Base です。 その後オローラ市の東端に現在のBuckley Air National Guard 基地が出来て軍は移動しそのまま跡地が残っていましたが、5年ほど前に両市へ払い下げとなって、都市計画に基ずいて住宅地区、商業オフィス地区、パブリックゴルフコースとに区分けされて建設が進んでいます。
空軍が使用していたカマボコ型の大きな航空機の格納庫が3棟あって、その1棟の入り口に以前の基地のマークの付いた玄関が残されています。

コロラドの日本食レストラン:

私自身は日本へは比較的頻繁に行っていますので日本の味については恋しいなどと思う事は殆ど有りませんが、それでも時々は日本食のレストランで家内と一緒に食事します。
最近の地元新聞に載った広告で気になったものが有ります。 デンバー地区に4店を持つ「園田」という日本食レストランの広告でSouthEast店は私の家から比較的近くにあります。 「デンバーで16年もやっているのだ」とその広告では言っていますが良く見ると料理が沢山並んでいる写真の脇に薦被りの灘の生一本「黒松白鹿」が置いてありますがその文字が左右逆転しています。
明らかに写真のネガからポジを撮る時か、またはコピー作成時に写真の裏表を反転したのに気が付かずに載せてしまっているものと思われます。 事ほど左様にコロラドの日本食のレストランでの味は何か今一つ違う、と言うのが実感です。

ロサンゼルスやニューヨークの様に味にうるさい日本人が大勢住んでいて味での競争が激しい所と異なりコロラドでは日系人は多く住んでいますが世代が代わって日本の味についてはもはや判らない人達が多くを占めており、代わって長寿国の日本と言う事で「日本食は健康食」と言った感覚を持っている地元のアメリカ人達の顧客によって支えられている日本食レストランの数々と言えます。

ロッキー青木によって昔ニューヨークに始まった、料理人がお客の前の鉄板上で曲芸まがいの手さばきで調理して食べさせる「ベニハナ」店は今や全米の主要都市ではほとんどの所に在りますが、デンバー地区にも南のTamarac Squareショッピングセンターに1店古くより在り、北のBloomfieldにも1店が昨年新たに開店しています。
調理人もウエイター・ウエイトレス達も日本語の良く分からない人達で運営されていますが、良く言えばコロラド流にアレンジしている、悪く言えば何か日本と異なる味、と言う事になります。
そんな事はお構い無しに多くのデンバー地区の日本食レストランは地元の人達でランチタイムもデイナータイムも繁盛しています。

地元新聞のRocky Mountain News紙が最近発行したその金曜版に別冊で添付されて来たコロラドのダイニングガイドには、その中で最近デンバーの南東の新興住宅地のParkerの町に開店しているJunz レストランの牧本ジュンさんがベストシェフと言う事で大きく紹介されています。
牧本さんは東京生れですが、その両親がカリフォルニア州で35店ものレストランを経営していた事があり、牧本さんが4才の時に両親とともに日本から移住して来ています。
たまたま両親がデンバーのCherry Creek モール内に店を開いた事からデンバーへ住むようになったのですが、その後この店を閉じて現在のParkerの店を開いたのだと解説しています。

レストランそれぞれにこうした背景を持っているコロラドの各店ですが、静かな日本食健康ブームに乗ってそれぞれが特長を出してやっている事がこのダイニングガイドから伺えます。
今回は日本食レストランとしては5つの店が選ばれていますが、コロラドには中華の店には数で及びませんが、いろいろなスタイルの店を合せて多分60店位い有るのではないかと思います。


大型ジェット爆撃機の野外展示:
Lowry空軍基地跡のカマボコ型格納庫2棟を使って航空歴史博物館が造られています。
博物館の格納庫入口にはかって一線で活躍していたアメリカ空軍の主力大型ジェット爆撃機の Boeing B-52 Stratofortress の実物が野外に展示されています。ジェットエンジンが片翼毎に4機ずつ合計8機搭載されているのが見えます。

Colorado, Quality of Life
(コロラド州政府が掲げる州の売込み口上)

* 年間で300日の日照日
* 全米で2番目の高学歴労働力
* 54峯に及ぶ標高14000フィート(4200m)以上の山々
* 全米で4番目に低い課税率

ハイテク田舎のコロラド:

コロラドには航空宇宙産業、放送通信産業、バイオテクノロジー、コンピューター・ソフトウエア産業などの先端ハイテク事業が多く活動しているにもかかわらず、本社機構をコロラド州内に持つ企業が少なく、好景気の時は多いに潤っても、不景気となると最初にレイオフなどの悪影響を大きく受ける様になっています。 そして景気回復による循環も遅れる事になります。 「ハイテク田舎」と言われる由縁です。

極く最近の地元新聞が最近のLucent Technology 社の事情を紹介している記事では、1990年代末から今日にいたる最もそれを象徴して状況を説明しています。
Lucent Technologies社のコロラドでの事業体は、かって2000年には従業員数7500名以上という大所帯で、デンバー地区で7個所以上に分散していた事業所を統括するため、デンバーの南西のダグラス郡の環状高速道路C−470沿いの敷地に大きな建物を新築して移動を行ないました。

その頃には同社の研究所で有名な東海岸のニュージャージー州に在るベル研究所もここへいずれ吸収するのだ、と言われていました。
その後、大規模構内LANの事業をスピンオフさせてAvaya 社としてスタートさせましたが、おりしもハイテク不況のあおりをまともに受けて約3000名に上る大型解雇を数回に分けて行なっています。

Avaya社のスピンオフ後ではコロラドのLucent 社は840名となりましたが、その後更に解雇があって今日では420名となってしまっている状況です。
新築された大きな建物は現在Avaya社が主として使用管理しており、その他の数社が併せて入居しておりLucent社は5分の1の面積をリースして間借り使用している状況となっている、としています。

放送通信業界での中心活動地としてのデンバー地区ではありますが、アメリカに於ける経済状況は少し業績面は各社好転して来ていると言ってもこのLucent Technologies社の例に見るようにいまだに回復の気配がコロラドでは顕著に見られていません。
ちなみに、Avaya社のコロラド事業所は2001年にLucent Technologies社からスピンオフした時が従業員数7000名であったのが、2002年には3300名となり、2003年末現在で2650名となってその後推移しています。

グラフで2001年12月から2003年の12月までの月毎の失業率について全米の数字とコロラド州での実績とを比較して見ると良く状況が分かりますが、不況の変化についてはコロラド州の数値変化が全米に対して数ヶ月先行して変化して来ている事が認められます。
また、1990年代後半での全米一の経済成長をして来たコロラド州で失業率も格段に良好であった状態から時としては全米の失業率を上回る悪い数字となっている事が分かります。
こうした状況に対応して全米の各州毎の一人当たりの4半期毎の収入の伸びを比較してみると全米50州中で49位で自動車産業の本場のデトロイトを擁するミシガン州の最下位に続く2番目の低伸長率となっている最近です。

コロラド州の経済低迷のみならず州や各市の租税収入も減少して州財政運営に支障を来たし緊縮財政を強いられているのはカリフォルニア州と同じです。

Lowry 航空歴史博物館:
正式にはWing Over the Rokies Air and Space Museumと言う名称の航空歴史博物館で道路入り口に掲示してある看板です。 月曜から土曜までは午前10時から午後5時迄開場しており、日曜日も正午から午後5時迄開いています。 入場料は大人6ドル、子供4ドルです。

創立50周年を迎える空軍士官学校:

コロラドスプリングスの町の北の山麓に広大な敷地を擁するアメリカ空軍士官学校(Air Force Academy)が在ります。
ニューヨークのWest Point にある陸軍士官学校、メリーランド州のAnnapolisにある海軍士官学校とともにアメリカ軍の各士官を養成する為に創られた3つの施設の一つですが、この空軍士官学校は今まで陸軍士官学校の一部であったのが1954年4月1日に時の大統領アイゼンハウワーが署名してスタートしています。
最初は現在のデンバー市とオローラ市の境にあったLowry 空軍基地内に仮りに設けられたのですが、その後全米の45州の582個所の中から選択されて現在のコロラドスプリングスへキャンパスが設けられ現在に至っています。

Lowry空軍基地は5年程前にデンバー市に払い下げられ現在は住宅地、商業オフィス地、公園などになっていますが、当時滑走路だった場所を軍が改修して造った18ホールのゴルフ場は現在そのままパブリックのゴルフ場として使用されています。

地元新聞ではこの50周年に大きな紙面を割いて記述していますが、その写真では1955年の第一期生306名が Lowry空軍基地内の兵舎前で整列をしているところが載っており、この一期生の卒業は新設のコロラドスプリングス・キャンパスで行っているとしています。 昨年は総勢907名の卒業生でしたが、その内136名が女性の卒業生となっています。
空軍士官学校では創立以来現在までに総数で36010名の卒業生を送り出しています。

以前にこのレポートに寄稿してくれた郷さんの写真で紹介のあったユニークな形態の建築で有名な教会が空軍士官学校内に在るですが、私も内部へ入って見ましたが非常に巨大な建物で内部にはキリスト教だけでなくユダヤ教やイスラム教などの祭壇も設けられていました。 また、キャンパス内の広場にはかって活躍した戦闘機が3機種ほど野外に展示されています。

地元新聞では記事に併せてクイズが5問出されていますが、その回答も含めて下記の通りです。

Q1: 空軍士官学校はデンバーの空軍基地に在るのか?
A1: 誤り。 最初はデンバーの昔のLowry空軍基地で仮スタートしたがコロラドスプリングスに在る。
Q2: 学生たちはWingmenと呼称されているか?
A2: 誤り。 彼等はただ単純にCadet と呼ばれている。
Q3: 入学した学生たちは少なくとも9年間は空軍へ務めなくてはならないか?
A3: 正解。 学生たちは4年間勉強の後、少なくとも5年間は現役として空軍への勤務が義務付けらており、 航空機の操縦士となる者には10年を義務付けている。
Q4: 授業料は全額を国が負担する事になっているか?
A4: 正解。 現在年間授業料、食費、宿泊寮費、は合計で$38、038であるが全額を国が負担している。 そして学生には制服や教科書、お小使いなどの費用としてサラリーが支給される。
Q5: 空軍士官学校創立以来、女性の入学を認めているか?
A5: 誤り。 1976年から女性の入学を認める様になった。 イラクやアフガニスタンでの戦闘で少数ながら女性の戦闘機乗りが活躍している。
昨年はキャンパス内での女性Cadetに対する性的虐待やレイプ事件が発覚して世の中の大問題となったこの空軍士官学校ですが、 その後、信頼回復に努めている空軍士官学校の現況となっています。


Lawry 航空歴史博物館の入り口:
カマボコ型の格納庫の横腹が入り口となっています。 中には大小30機以上の昔の航空機の実物が展示されており、毎月の第2土曜日にはOpen Cockpit Day と言って展示してある航空機の操縦席に見物者が入る事が出来ます。
Web で www. wingsmuseum.org を検索すると詳細が説明されています。

ドウリットル爆撃機編隊の東京空襲:

日本軍による真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争から4ヶ月後の1942年4月18日太平洋上の米海軍航空母艦フォーネットから飛び立ったドウリットル中佐率いるB−25爆撃機16機による東京空襲は開戦以来初めての日本本土への爆撃と言う事で大きな衝撃を日本へ与えましたが、早くも62年が経過しています。

当時の16機の乗組員は総勢80名であったのですが現在ではその生存者は17名を残すのみとなっています。 その後当時のこの乗組員達は戦争終了後毎年この日に会合を持って来ていますが、今年もアリゾナ州Tucsonでその会合が催されました。
出席者はコロラドのボールダーの町に住んでいるBill Bowerさん(87才)を含めて8名だけが参加しましたが、この当時 Doolittle Raidersと呼ばれた東京空襲爆撃の当時の状況やBowerさんの回想録なども含めて地元新聞では大きな紙面を割いて写真入りで解説しています。

当時のアメリカでの状況は太平洋での軍事的に有利な地位を占めようとしていた時期であり、パールハーバーでの深いダメージを受けて以来の戦意高揚と言う意味ではこのドウリットル爆撃機編隊の日本爆撃成功は日本軍の戦略に変化が生じ、それからたった2ヶ月後のミッドウエイ海戦で日本海軍に対して決定的なダメージを与える事に大きな影響を与えた、とみる歴史家が多い、としています。
500ポンド(227kg)爆弾4発を積載して燃料満タンのB−25爆撃機が航空母艦からの発艦が出来るか、と言う不安や飛び立ってから600マイル先の東京を目指して飛行し爆撃終了後に中国の日本軍が確保していない内陸部まで航続出来るか、など多くの不安を残したまま実行された、としています。

ドウリットル中佐の一番機が飛び立ってから16機目が飛び立つまでには4時間を要したと言うが、全機とも無事発艦してそれぞれ東京、横浜、名古屋、大阪、神戸などの工業地帯に爆弾を投下しています。
その後1機はロシアのウラジオストックまで飛行を続け着陸、そして2機は中国本土までたどり着いて着陸、しかしながら残る13機は何れも中国本土を目指しましたが途中で燃料切れのため乗組員全員が飛行機を捨てパラシュートで脱出しています。 そして、総員80名中で結果として1名が脱出の際死亡、2名が着水後機体がクラッシュして溺れ死に、3名が日本軍に依って処刑され、1名は栄養失調で死亡、そして生き残ったものの日本軍の捕虜となった者8名と言う事となっています。

現在コロラドのボールダーの町の郊外に住んでいるBill Bower さんは当時25才で12番機の操縦士を務めていましが、10才の時に始めて飛行機に乗って以降1939年に飛行学校で学んだ後デンバーにあったLowry空軍基地で訓練を受けた後にこの作戦に参加しています。

彼の乗った12番機は横浜上空で積載していた爆弾全部を石油の貯蔵タンク群に落下した後中国本土へと向い陸地へと辿り着いたが燃料切れのため乗組員全員をパラシュートで脱出させた後、最後に離脱して中国人に助けられ帰国しています。 これらの作戦の成果は1944年のドキュメンタリー映画「東京上空30秒間」として一般に公開されています。
その後、同様に助かって帰国したドウリットル中佐とともに北アフリカ戦線に従軍し、更にイタリー戦線に参加活躍しました。 第2次大戦終了後に帰還して結婚し、その後引退して現在までコロラドのボールダーに住んでいます。

毎年開かれるDoolittle Raiders のOB会にはコロラドスプリングスの空軍士官学校に保管してある乗組員80名全員の名前が刻印して有って全部が一つの大きな木箱に納められている80個の銀のカップが取り出され使用されるしきたりとなっています。
コロラドスプリングスから今年の開催地のTucsonまでオクラホマ州の飛行機マニアが所有するB-25で空軍士官学校生によってこれらのカップは運ばれましたが、途中更に3機のB-25とB−17が一機加わって編隊飛行をしながらTucsonへ到着した、としています。
OB会では自分の名前の入った銀のカップでJimmy Doolittle 中佐の誕生した1896年産のブランデイで既に亡くなった各メンバーの冥福を祈って乾杯する習わしとなっています。

Lowry 空軍跡地の住宅地:
住宅地の開発は既にかなり進展しており、一戸建ての高級住宅の区画も有りますが、この様なタウンハウスの形態の家が多く建設されています。
これはデンバーへの通勤主要ルートのAlameda 通りに面している住宅を示していますが、4軒が1ブロックとなってそれぞれの棟がズーっと何十軒も連なっています。 各家には暖炉が付いていてその煙突が各家毎に屋根から突き出しています。
各家には高速光ファイバーラインからのFTTC(Fiber To The Curb)となっていてその端末が各家へ引かれておりデジタルケーブルTVの他に高速インターネットが可能となっています。

「バターン死の行進」の生存者:

太平洋戦争中での出来事の一つでアメリカでは非常に重大な事として記録されている事に1942年4月にフィリッピンのルソン島のバターン半島での日本軍に捕虜となった9000名のアメリカ軍兵士達が内陸の鉄道迄を食料や水の僅かな補給のみで暑さの中を5日間歩いて移動させられ、鉄道にたどり着くまでに約1000名が死亡し、鉄道で捕虜収容所までの移動中にさらに2000名が死亡した、と言ういわゆる「バターン死の行進」の事が語り継がれています。

私の住んでいるオローラ市にはGlen Berryさんと言う今年87才になる空軍退役軍人の元中佐が生存しており、今年も4月を迎えてその時の残り少なくなった生証人としてオローラ市の案内書に写真入りで紹介されています。
Berryさんは空軍の情報将校としてパールハーバーの攻撃の少し前の1941年秋にルソン島に派遣され、その後の日本軍の占領に依って9000名の捕虜の一人となって「バターン死の行進」を行なう事となってしまいました。 1944年にアメリカ軍のフィリッピン奪還があって日本軍は後退を行なうが、その時にBerryさん等生き残った捕虜達は労働力として使う為に貨物船で日本へ送られ、更に朝鮮のInchonの収容所へ移されて終戦を迎えています。

終戦を迎えてその収容所の責任者の日本軍将校は捕虜たちの責任将校に降服をして「戦争は終った。連合軍が勝利した。 君たちの国が我々の有しているものより何千倍も強力な爆弾を発明したからだ。」と語った、とBerryさんは当時の話をしています。
1946年にBerryさんはアメリカへ帰国し再び空軍に復帰し、それ以来オローラ市で過ごしています。

現在でも学校やコミュニテイの会合で当時の事を子供たちに体験談として話して聞かせており、教科書を通して先生から習うよりも実際の体験談を本人から聞ける事に子供たちは感動をし、どうしてBerryさんは厳しい環境の中で生き延びる事が出来たのだろう? と言う疑問が投げかけられるが、医師は彼が若くて丈夫だったのが基本であるがアメリカ人の中では小柄な体形が少ないカロリーの補給面でも有利だった、としています。しかしBerryさん自身は「私が倒れそうになった時に神が現われて私の導きに従えば全て成し遂げさせるとの語らいに従ったのだ」とその精神面での支えが生き残りを可能にしたのだ、と信じている、としています。

私の家の相向いに未亡人のお婆さんが住んでいましたが、彼女の旦那もこのバターン死の行進の一人で生き残って帰国したが、大分以前に亡くなったと話していました。 彼女自身も年で弱って来て一人暮らしが困難となって来て昨年老人ホームへ移って行きました。 徐々にこうしてかっての戦争の生証人達が消えて行く時期に入っていますが、こうした事を繰り返す事が無い様に記録に留めて置きたいものです。

デンバー市の中心の高層ビル群:
一番右にあるその最上部の形状に特徴のあるビルがWellsFargo銀行ビルでその形状から地元ではCash Register Building(金銭登録機ビル)と呼ばれています。 1階から3階迄をWellsFargo銀行が使用しています。 日本の住友商事のデンバー支所もこのビルにあります。
中央に在る角柱型のビルはRepublic Plaza ビルでコロラドの中で一番の高層建築です。 ガスと電気の供給会社のExcel Energy 社が主要テナントとして入っていますが、世界一の金鉱山会社で金の値上がりからコロラドで現在最も元気印のNewmont Mining 社もこの中にあります。
左の細い角柱型のビルは中西部13州の地方電話と高速光ファイバーによる全米バックボーン運用を行っているQwest 社のビルです。ビルの最上階近くにQwestのサインが見えます。

アメリカ情報メデイアの基礎数字:

ブッシュ大統領が先日の地方遊説で「アメリカでのブロードバンド・サービス(高速インターネット)を全家庭に普及させる。」と言う演説に呼応して各メデイアが関係データを記述しています。
サブスクライブ料金の面から相変わらずダイアルアップのユーザーが多くを占めているアメリカの現状から、韓国や日本などアジアの国々でのブロードバンド・サービスの普及状況までアメリカでの問題点を浮き上がらせています。
ここに幾つかの関連するメデイアに現れた基礎数字を示すので御参考として頂きたいと思います。

* 昨年の主要ケーブルTV会社毎の視聴者数とそのランキングでは、従来のアナログ・ケーブルTV放送の視聴者数(単位は100万軒)では、

Comcast  8.51
Charter  6.50
Cox  6.31
Adelphia  5.08
Cablevision  2.98
Mediacom  1.55
Insight  1.29
合計 32.20

そして、デジタル・ケーブルTV放送の視聴者数(単位は1 00万軒)は、

Charter  2.66
Comcast  2.56
Cox  2.07
Adelphia  1.82
Cablevision  0.76
Mediacom  0.39
Insight  0.38
合計 10.63

そして,ケーブルモデムによる高速インターネットの利用者数(単位は100万軒)は、

Comcast  2.07
Cox  1.87
Charter  1.49
Cablevision  0.98
Adelphia  0.88
Mediacom  0.26
Insight  0.21
合計  7.42

* 昨年の衛星TV放送主要2社の視聴者数(単位は100万軒)は、

Hughes(DirecTV) 11.85
EchoStar  9.09
合計 20.94

エコースター社が前年に比べ 16.8 %と大きく伸ばしているがDirecTV社との総計でも12%の伸びで好調。

インターネットのYahoo社によると昨年での技術商品でのアクセス頻度では音楽ダウンロードのRingtonesがトップで,後次の様な順序となっている。
デジカメ、携帯電話、HDTV、MP3プレーヤー、iPod,Tivo,プラズマTV、DVD−R、カムコーダー。

DVDのセルビデオの昨年の売上げはその前年の87億ドルに比べて120億ドルと45%伸長した。
一方、DVDのレンタルビデオ売上げも昨年は43億ドルと前年比で53%の伸びを示している。

2003年末でのDVDデイスクの平均販売額は一枚当たり20.21ドルで、1999年末の25.53ドルより大幅に下って来ている。
2003年ではDVDプレーヤー一台当たり17枚のDVDデイスクが購入されており、これはかってVHSのピークであった1996年のVHSでの比率のほぼ3倍に当たり、現在アメリカの家庭の約半分が少なくとも1台のDVDプレーヤーを持っている。

アメリカでのBroadband インターネットユーザー比率はサンデイエゴ市が一番高く52%で残りのダイアルアップ・ユーザー比率を抜いている。 2番目はボストンで50%・50%となっている。

インターネットのサイト毎のサブスクライバー数ではAmerica OnLine社が全体の28%を占めてダントツで以下次のような順序となっている。
2. Comcast
3.United Online
4.Microsoft
5.SBC Communications
6.Earthlink
7.Road Runner
8.BellSouth
9.Verizon
10.Cox Communications

アメリカ電子工業界によるとアメリカでのプラズマデイスプレイTVの今年の売上げ見込は9.08
億ドルで昨年の5.15億ドルから急激にアップする、としている。
そして、液晶TVの今年の売上げ見込も4.31億ドルで昨年の2.46億ドルから大幅な伸びを見込んでいる。

9チャンネル TV放送局:
NBC系の地上波ローカルTV局でコールサインはKUSAです。
デンバー地区では最も人気の有るTV局で日系の女性アンカーマンのアデーラ荒川のニュース番組で人気があります。 全米での昨年のエミー最優秀放送局賞をもらっています。
意外と小さい建屋で運営していますが、ヘリコプター1機と中継放送車数台が活躍しています。
後ろの大きなビルはアパートでこのTV局の建物ではありません。
また、HDTVカメラをアメリカで一番最初にヘリコプターに搭載して現場中継を行なっている放送局となっています。

「Weather is News in Colorado」と言って変わり易いコロラドの天候に付いて天気予報の解説者として人気が有りやはりエミー賞の天気予報部門の賞を昨年を含め過去8回受賞しているMike Nelson氏(46才)は今まで13年間このチャンネル9でやってきましたが最近倍額近い給与で競合するチャンネル7に引き抜かれて6月中旬から第7チャンネルで天気予報を伝える事となった、と言うニュースはデンバー地区の視聴者を驚かせた最近の話題です。

トヨタ自動車が最近の雑誌Timeに載せているハイブリッド・カー新型プリウスの広告から:

原油価格の高騰に伴ってガソリンの価格が急激に上昇しています。
既にカリフォルニア州ではレギュラーで1ガロン当たり2.20ドルを越えていると言う事で一般市民には大きな問題となって来ています。 そんな訳で、毎日の足として車を使用しているアメリカ市民にとっては低燃料消費で故障知らず、と言う事からトヨタの車に買い替える人が急速に増えて来ています。

今までの初代プリウスは物好きが使う特殊な車として扱われて来ていましたが、いろいろなユーザーのニーズから改良・変更を加えた新型プリウスは従来からの車と競合出来そうです。 コロラドの私の周囲でもチラホラと見かけるようになりました。
最近の地元新聞に載っているガソリン価格高騰を受けてコンスーマー・レポート社が実施した各社の新型車182モデルを対象とした燃料消費のテスト結果では、ホンダのハイブリッド・カーのインサイトが一位で51マイル/ガロンとなっていて、トヨタの新型プリウスはトヨタがその広告で言っている「55マイル/ガロンが普通」よりも少し悪く44マイル/ガロンと言う成績ですが、計測条件が異なる為かもしれません。

ホルクスワーゲンのゴルフとジェッタの2モデルが上位に入っていますが、何れもデイーゼルエンジン車で、日本と異なりアメリカではデイーゼル燃料はレギュラーガソリンと殆ど同じか少し高目の価格ですので、あまり価値を高く評価されません。
いずれにしても実にタイミング良し、と言う事で今後このガソリンの状況が継続すれば、こうしたハイブリッド・カーや水素燃料電池車には流石のアメリカでも追い風となるでしょう。

衛星ラジオ標準装備のSUV車Blazer:

GMのシボレー部門の中型4輪駆動SUV車の主力モデルであるBlazer は頑丈な構造で重量があって大きい馬力の大排気量エンジンを積んでいる事から燃料消費面では大変気になりますが、コロラドのように山岳地帯があって天候の急変する土地柄ではその信頼出来る車のイメージから比較的ポピュラーな車種となっています。

ちなみに我が家でもこのBlazer 一台とトヨタのカムリ一台とを使っていますが、天気の良い日常での使用はカムリで雪が降ったり遠くへ出かける時にはブレーザーと言う使い分けとなっています。
4200cc、V6のエンジンでロッキー山脈への登山ルートでも十分な馬力が有って国道70号線の山中での急勾配をなんなく高速で登り切る余裕が有るので気に入っています。
衛星ラジオ放送ではGM系はXM Satellite Radio社へ投資参加しており、Fordやホンダ系はSirius社へ投資参加しています。

極く最近の地元新聞の広告では、このGMのBlazerと競合する他社のモデルとの比較を行なっています。 その比較項目の中に衛星ラジオ放送のXM Radioの受信装置が標準装備となっている、と言った項目が入ってきており、この事は広告に載ったのは初めての事となっています。

3月1日付けのボストングローブ紙の伝えるところでは、自動車会社のゼネラルモータース社では今年の4月中には同社での100万台目の衛星ラジオ放送受信機を搭載した自動車の生産を行なう事になる、としています。
衛星ラジオ放送もかなりアメリカ市場に定着してきており、その受信アンテナを車の屋根に着けているのを多く見かけるようになりました。

アメリカには日本のゴールデンウイークの様な全国一斉行楽タイムといった事は有りませんが、気候も暖かくなってきて森や林の緑も深くなって来ており車で長距離の行楽ドライブの機会も増えてくるシーズンに入って来ています。
自動車での使用機器についてもこれからの季節需要の拡大を目指して広告宣伝が盛んとなって来ており機器お買い上げの方には即日で無料取り付け致します、と言った広告が目に付くが、自動車用を主要顧客としている衛星ラジオ放送受信機のXM Rdio やSiriusも地上波によるデジタルラジオ放送が始まるのを目前にして顧客獲得作戦を一層強めて来ている最近です。

現在のAMやFM放送に代わる地上波デジタルラジオ放送が準備されていますが、この衛星経由のラジオ放送と競合する事となると思われます。 また、インターネットを介するラジオ放送も活気を帯びてきている事から今後それぞれのメデイアでの音声放送の静かな葛藤が市場で繰り広げられる事となる様相となっています。


7チャンネルTV放送局:
デンバーの町を斜めに走っているCherry Creek 川の両岸はSpeer 通りとなっていて南西岸にあるKUSA局と相対して北東岸側にこのABC系の地上波ローカルTV局KMGHがあります。
局の建屋の右の沢山のパラボラアンテナの後ろに低い建屋が在りますが、その屋上はヘリコプターの発着場となっていてここから飛び立ってニュース取材や交通状況の空からの中継などを行っています。 後ろの大きな ビルは保険会社のビルでこのTV局の建物では有りません。
このチャンネル7も競合するチャンネル9もそれぞれの建物から放送信号をパラボラアンテナを介してロッキー山脈の麓のデンバー地区が一望に出来る山Lookout Mountainへ送信してメインアンテナから電波を送信しています。

デジタル・ラジオの市場規模:

市場調査会社のIDCによると、デジタル・ラジオの市場売上げは今年142、000台から2007年には200万台に成長するとしている。 そして、その売上げ台数の上昇に伴ってその取付け費用の業界総額も7800万ドルから5億5800万ドルと伸長するとしている。
また、家庭用のデジタル・ラジオの市場売上げは今年55、000台から2007年には230万台と成長し、売上げ金額では2600万ドルから5億7000万ドルに伸長するとしている。

TV放送した番組のDVDデイスク:

しばらく以前にレポートした事が有りますが、TV放送番組用として制作されたプログラムでヒットしている番組については、通常後で再放送用に保存されるか、VHSに記録されて販売される、または完全なお蔵入りとなる、といった道筋であったが、最近ではDVD映画と同様に比較的早い時点でDVDデイスクとして発売する事が増えて来ています。
しかも最近ではTV放送での番組収入よりDVDにして発売した売上げの方がはるかに凌ぐ、と言った現象さえも出てきている現状です。
そう言った最近のアメリカでの事情を雑誌のTime がその4月19日号で取り上げています。

航空機内での携帯エンターテインメント・センターの貸し出し:

ユナイテット航空から格安料金で他社と競争する為にスピンオフしたTed 航空では機内サービスとし携帯型機器のDigEplayerと言うシステムを有料で貸し出す事を試験的に始めています。
この装置はワシントン州のシアトルの南のTacomaに在るAPS社製で20GバイトのHDDを内蔵しておりバッテリー動作で10時間もち、7インチのデイスプレイを有する重量が1kgちょっとの機器で乗客は映画、マンガ、ゲーム、ビジネス講座、語学講座、音楽ビデオ、飛行ルートマップ、空港案内、等のいろいろなプログラムで楽しむ事が可能となっています。



毎年、この時期になると夏の水不足と森林火災とが気になるコロラドですが、昨年は冬季のロッキー山脈への降雪量は少なかったものの比較的夏の降雨に恵まれた事からあまり大事に至らずに済みましたが、今年もこの冬のシーズンの降雪量は水不足が深刻だった一昨年と類似な状態であった事から、デンバーを始めロッキー山麓の主要な各市では節水条例が発せられています。

私の住んでいるオローラ市でも5月1日付けで次のような節水の指示が市民に発せられました。
* 芝生への散水は蒸発量の多い午前10時から午後6時迄の間は禁止。 そして偶数のハウス 番号の家は 木曜と日曜のみに可。 奇数番号の家は水曜と土曜のみ散水が可。
* 木や花、野菜等への散水は手撒きによる場合のみOK.
* 新しく芝生を植えようとする時は市の認可が必要。
* 家での洗車には止水栓付きのノズルとバケツの使用で行なう事。
と言うような規制となっています。 とても「湯水の如く使う」と言った雰囲気ではありません。
そんな、今年も水が気になるコロラドから「コロラド便り」(その19)をお届けしました。


「以上」

 
 
Copyrighted to: Mike Hagiwara
Photographs copyrighted (2004 Mike Hagiwara)
 
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